関根 |
私がなんにもしゃべってないのに、教えてくれてありがとうござ
い ました、ってなんなんだろうかって。普通の状況だったらこれは 嫌
味ですよ。俺はしゃべってねえんだから。でもその状況の中で は、 彼等は本当に学んだんだなって思ったわけ。自分で話をしながら
自 分のモヤモヤを発見して、あっ自分はこういうことで悩んでるん だ
なってのを発見したんだろうなって思ったですよ。発見したのは 自 分の力だと思ってないわけですよ。でも私がどうぞって言って、
し ゃべり始めて、考え始めて、こうだああだって整理が出来たんで す
よ。 |
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ええ、ええ。 |
関根 |
それを彼等の表現で「すばらしい話をありがとうございました。」
って言ってくれたんだろうなって思ったわけ。だからその瞬間か ら、いろんな僕の中にあるいばる部分、高飛車になる部分が全部脱
げた感じがしたのね。
あっ、私は聞かせていただくだけで役割が果たせるのかも知れない。相手を黙らせることではなくて、相手にし
ゃべらせることが出来たら、相手は自分で答えを発見するのかも知 れない、と思ったの。
でも、牧師はやっぱりしゃべるんですよ。相手が期待してない答まで出す、教えたがっちゃうわけじゃないです
か。神はこうですから、こうしなければなりませーん、って。あん たやってんの?って聞いてる人は当然思うわけだけど、ね。
だけど その時から私の極めて断定的な説教はね、終わったの。 |
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はっ、はっ、はっ。それまでは、じゃあちょっと違ったんです
か?。 |
関根 |
ああ、それまでの説教はもう、断定的でしたよ。 |
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えっ、そうですか! |
関根 |
あーもー、昔のフライデーナイトなんてすっごいですよ。
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えーーー!? |
関根 |
救いはっ、ありまっせーん!とか言っちゃって、もう。 |
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あら、そっち方面
がちょっと入ってたんですか? |
関根 |
すごいですよ。 |
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考えてみたら、僕はアートセラピーの後しか知らないですもん
ね。 |
関根 |
そうなんだよね。 |
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そうだったんだぁ。 |
関根 |
だから、そういう出来事があったんで、岩渕君にでさえ、「お前
ね、歌で答えなんか投げちゃだめだよ。」ってしみじみ言うことが 出来たわけ。 |
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あー、ふ〜ん。人はみんな、どっかで変わっていくんですね。 |
関根 |
うん、人はどっかでね、やっぱチャレンジを受けてね、こう、変わ
りますね。いや、それがなきゃね、単なる極めて律法主義的な、いば りくさった牧師でしたよ、私は。 |
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そうなんでかぁ? |
関根 |
うーん、つまづいてましたよ、今頃楠さんも。
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あはっ。 |
関根 |
だからその出来事が説教や、人間関係にとっても大きな影響をおよ
ぼしていて、その出来事が、「あっ、オーストラリアの学長たちが 本当に教えようとしていたことは、こういうことなんだな。」っ
て、全部筋が見えたわけ。 |
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ふ〜ん。 |
関根 |
俺がすきだなっ、わっ、すごいなっ、って人のメッセージてのは、
基本的にそういうメッセージなんだなってのが、始めてわかったん ですよ。
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あー、なるほどね。そういう考えに立ったメッセージってことで
すよね。 |
関根 |
そうなんだよ、あなたが考えて、あなたが決めればいいんだよ、っ
て感じのメッセージするんだよ。私はこう思ってるけどね、あなた はあなたで考えればいいんじゃない?って。で、それがなければ
日々の聖句なんて絶対続かない。 |
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そっかぁ〜。
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関根 |
日々の聖句はいつもオープンエンドなんですよ、こっから先はあな
たの問題ですよ。そうしなければ矛盾だらけで、続かないですよ。 だからアートセラピーはそういう意味で僕の精神生活ってかね、牧
師としての資質を磨く上でも非常に重要な意味があったんですよ。 お金には代えられないものがあったの。 |
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そうか、やっぱり本を書くというのも楽しみのひとつなんですよ
ね。そういう発見したものを、書き記すという。 |
関根 |
そう、あれね、4日で書いたんだよ。
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あっ、は、は、は、そうですか。 |
関根 |
うちの奥さんが、僕に生まれて始めて「あなた、本書けば。」って
言ってくれた内容なんですよ。彼女は僕が本を書くことに反対は しないけれど、あなたの説教を聞きたいんであれば別
に本なんか書 かなくって聞きにくればいいじゃない、って。で、今まであまりに
もさ、本でさ、なんか知らないんだけど、全然儲かったためしがな いんだよ。
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は、はぁー。 |
関根 |
出費こそあれ。本当に。信じられない!それで、本についてはさ、
常に否定的だったんだ。 |
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あ〜。 |
関根 |
でも、おととしかなぁ〜。埼玉
県の与野市の看護婦協会って、看護 婦、まあ看護士ですね、看護士達の総会があって、そこに俺呼ばれ
て、講演頼まれたの、家族のケアーについて。90分くらいの。 で、そんときうちの奥さん暇だったんで、連れてったんですよ。
「教会でのメッセージは聞いたことがあると思うけど、そうじゃな いとこの話しも聞いてくれる?」って。
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はあ、はあ。 |
関根 |
大体のアウトラインは「いてくれてありがとう」の中のことの一
部。で、彼女、すっごく感動して帰ってきたんだ。 |
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へえ〜。 |
関根 |
その、いわゆる聖書の説教とは違う形での。で、世の中に必要なも
のがその中にあるような気がするって言うわけよ。それで、「あな た、書けば」。「あなたが書かなければ、存在論的人間観って誰か
が必ず使いだしますよ。」って言うわけよ。「同じようなことを誰 かが言うと思う。でも、経験から言ったらね、あなたの経験は、非
常にその、まっ、基礎的な経験。例えばオーストラリアでIQゼロで 受け入れられた経験とか、そんなのはさ、そんな経験してる人はい
ないですよ。大体みんな留学ってのはさ、自信持ってみんな行くわ けだから。挫折経験があってもIQゼロまでは落ちないですよ。 |
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ふ、ふ、ふ。 |
関根 |
そういうのが書けるのは、やっぱり恵みでしょう。」と言うので、
じゃあってさ、ホテル泊まり込んで、4日くらいで書いたんだよ。 |
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へえ、そうですか。
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関根 |
うん。前にねもうちょっと別
なものを書こうと思ったんだけど、な んかそれはあまりにも痴呆症の、ほら、昔見せたことがあった、あ
まりにも痴呆症の世界に限定されていたので、すべての人のものじ ゃないなって思ったから、あれはあれで、もちろん持ってたんだけ
ど、ちょっと違う区切りでやろうと思ってね。 もうちょっと普遍的な親子関係とか、家族関係とかですよね。
だから、そういう意味では、書かれるべくして書かれたという部分 がきっとあるんだと思う。タイミング的にもね。ちょうど校長の仕
事も終わったし、学校のこと振り返る時期もあったし。でもそれに しても一番最初のカウンセリングの時間と、オーストラリアのビンガムとの出会いってのは、コアなんですよ。 |
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そうですね、ビンガム校長の話しはいろいろな場面
で出て来ます けど。 |
関根 |
本当、コアなんですよ。で、コンピューター専門学校の校長をやる
って話しにしても、私もそろそろビンガムと同じくらいのね、ビン ガムが僕を愛してくれたのと同じくらいの年代になって、ビンガム
がやってくれたことを誰かにやりたいなって思いはあったの。留学 生とかいっぱいいたから。ハンディキャップの学生とか。そんなこ
ともあったんで、ふさわしいかどうかわかんないけど、「いいです よ。」と答えたのは、誰か一人でも僕との関わりの中で、出来る出
来ないは別としてね、ビンガムさんが僕に与えてくれたような影響 を誰かに分かち合えたらいいなって思いがあったのは事実なの。 |
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ふぅ〜ん。
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関根 |
だから、ビンガムさんの影響で本を書き、ビンガムさんの影響で学
校長になり、って言っても別に過言ではないですよ。 |
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なんか、その話しはうらやましくもあるんですよね。
そういう人との出会いってのはね。僕もそういう出合いがあったのかもしれないけど、憶えてないの
かも知れないし…。 |
関根 |
は、は、は、まだ思い出してないだけかも知れないね。 |
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でも、大事なんですよね、そういう出会いが。 |
関根 |
うん、人生は出会いで決まるって言うくらいのもんで、出合いの中
で刺激を受けるわけだから。方向性についてもなんでも。今もまだ ね、ビンガム氏は健在だし、僕にとってはこう極めて現場が日本で
はなかったから、その当時オーストラリア行くことだって結構大変 な作業だったし、そういう意味ではこう、僕の人生の中では非常に
画期的な出来事だったの。えいやっ、ってオーストラリア行って さ、で、ゼロだとか言われてさ。ゼロだ、ばかだ、だめだ、って感
じの中で、大丈夫、大丈夫って言ってくれたのはボスだったわけだ から、それはすごく嬉しかった。 |
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は〜ん。 |
関根 |
その空気はね、僕の歌の中にどこにでも出てるはずですよ。 |
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あん、そうですねぇ。
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関根 |
そう、「あなたがそこにいて」っていうんだってさ。
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まず、「ほほえみをください」から始まってね。そうですよね。
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関根 |
あ、こんどああいう歌の紹介文書こうかなあ。 |
|
…つづく
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