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本の中で、名前で呼ぶ話があるじゃないですか。ファーストネームで呼ぶ。 |
関根 |
はい、はい。 |
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そういうのは、考えてみたら関根先生がオーストラリアで過ごし
たってのが影響あるんですかね。 |
関根 |
大きいですよ。俺は「カズ」って呼ばれててさ。はじめは「カツオ」とか呼ば
れて、俺はかつおじゃねぇ、かつおなんて言うんじゃねえよって怒
ったらさ、じゃあニックネームで「カズ」にしようって。 |
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あ〜あん。そういう呼ばれ方を覚えるとねぇ、確かに日本の呼ば
れ方ってのはねぇ。 |
関根 |
やっぱりさ、「私」が呼ばれてるってのを感じるよ。 |
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やっぱり。だってあのおばあちゃんがねえ、名前呼ばれて振り向
いたりするってのはねえ。 |
関根 |
そ、そ、そ、そう。それだってね、存在論的人間観の、あれ土台な
んですよ、実は、名前で呼ぶってのは。でもそれは聖書のなかで さ、ちゃーんとさ、キリストが羊の名前を呼んで連れ出すとか出て
るじゃない。 |
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は〜あ。 |
関根 |
あるいは、天に行ったら新しい名前であなたは呼ばれますよ、ってことがついてるわけじゃないですか。
よく洗礼名ってあるじゃな い。洗礼名だって、神の前で新しい名前で呼ばれるんだよ、これから!っていう、そういう意味ではさ、神の前で新しい存在になるんだよ、これから。ということの意思表示でもあるわけですよ。あれはね、すっごい重いことなんだよね、実は。
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ふ〜ん。
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関根 |
あの伝統をね、プロテスタントは捨てちゃったけどさあ。あれはね
え、すごい大事なことなんだよね。自分の名前は他の人とは違うと いう圧倒的な証拠になるものでね。
それは聖書的にはすごく重要な …、聖書における名前ってのはね、すさまじいんですよ、意味合い
が。全部意味があるからね。で、そのひととなりと関係があった り、その人の出来事と関係があったり、っていうんで、それはすご
いですよね。 |
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日本では、ファーストネームで呼ぶっていう習慣がないし、名前で呼ぶことを軽んじているわけではないでしょうけど…。
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関根 |
やっぱりね、そこにあるのは建て前の世界とか、体裁とか、そういうのがあって。だから逆に言えば少年期に名前で呼ぶことが出来る
友達がたくさんいて、数でたくさんいる必要ないけど、名前で呼び 合うことの出来た仲間が数人でもいたら、その人はその存在論的っていう意味を肌で知ってるはずなの。体験してるはずなんですよ。 |
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あー。 |
関根 |
あの、心地よさだよ。 |
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なるほどね。 |
関根 |
それを思い出す必要があるわけですよ。年齢が重なっていっても、
それを思い出す必要がある。その作業はすごい大事ですよ。
で、教 会の交わりってのは本来、それを思い起こす交わりでなければいけないはずなんだ。だからね、ちょっと照れもあるだろうけど、ニッ
クネームでもいいし、ちょっと名字だけの世界から一歩こう、なんて言うか、もう一歩前へ、っていうか、そういう努力は必要かかも
しれない。 |
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ふ〜ん。 |
関根 |
オーストラリアやアメリカで一番心地いいのは、僕のことを関根先
生って誰も呼ばなくて、「カズ」とかって呼んでくれるのが一番心 地いいですよ。
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は、は、なるほど。 |
関根 |
そこには横並びの心があるじゃないですか。かといってね、別
に軽蔑されるわけでなく、必要以上になれなれしいわけでもない。一応
役割を認めてくれているから。
ていう意味では非常に今後の課題として日本の中で、丁寧に名前を呼び合う、下の名前で呼び合うことを不思議に思わない空気ってのは必要ですよ。老人達が幸せになる
ためには。
だからある程度いい大人でも、フルネームで呼ばれる、フルネームで自己紹介できる心って必要ですよ。それはね、すごく大事なことと思うんですよ。 |
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何年か前にアメリカに行った時に、まだあまり海外経験なかったんですけど、ホームステイして。そこの女の人が僕のことを「ショ
ージ」って言うんですけど、なにかにつけて「ショージ、なになに。」「なに食べる?」「どお?」って、なにかにつけて言われるのが、僕は最初怒ってるのかなって思ったんですよ。 |
関根 |
そうか、そうか、そうか、そうか。
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日本で「章二、なになに。」って言われるってないじゃないです
か。だんだん分かってきたんだけど、最初すごい戸惑いましたよ ね。 |
関根 |
最初戸惑うよね。ま、異文化体験の最たるもんだね。
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昨年ハワイに行った時に、ホープの人達とファーストネームで呼
び合うんですよ。これが心地よいっていいうか。 |
関根 |
コミュニケーションのレベルが変わるんですよ。そういう呼び方で
許されるってのは。コミュニケーションの深さが変わりますよね。 だれだれさんって言わざるを得ない状況と、呼び捨てにするのって
全然ちがうじゃない。 |
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まあ、僕はかみさんのことを名前で呼んでないですけどね。その辺のことから変えていかないと年取ってから大変かもしれません
ね。 |
関根 |
名前の問題というのは、文化的な意味で反対する人もいるし、賛成
する人もいるんだけどね。
ある時期、俺アンケートとったんだけど、やっぱり下の名前できちんと呼ばれたいって女性、すごく多い
ぜ。 |
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あ〜、そうなんですかねぇ。上の名前は変わっちゃうんですもん
ね。 |
関根 |
変わっちゃうわけだから。やっぱり人の名前なんだよ、それは。友達からは下の名前で呼ばれたいって随分多かったな。それは以外と驚きましたね、その多さには。でもそうだろうなとも思った、逆
に。だってアイデンティティーを失うわけだから。まるで主人の所有物みたいにさ。誰それさんの奥さんとかさ。
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そうですよね、子供が小さいと誰それさんのおかあさんってね。 |
関根 |
それはさ、なんかさ、”自分”じゃないんだよな、役割ではあってもさ。
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あ〜、なるほどね。 |
関根 |
うん。だから育児ノイローゼなんかの中には、そういう呼び名から来てるプレッシャーってあると思うんだよね。「おかあさんとし
て、しっかりやらなければ。」みたいな。ありますよ。 |
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やっぱりあれですかねえ、旦那がまず認めてあげて、聞いてあげ
て、話を。 |
関根 |
そう、そう、それだけなんじゃない。うん、そうだよ。出来ることだけやればいいんじゃないって言ってあげればいいんだよ。
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わかっちゃいるんだけど、これがね、なかなかね。俺の話も聞いてくれよ、みたいになるんですよ。 |
関根 |
ついついね。
うん、だから母親というのは一つの役割であって、でも夫と妻の関係から言えば「私」と「あなた」の関係ってのは、母親であることと関係ないわけだから。
母親ってのは子供との関係に おいて母親、父親があって、それは同じですよね。父親も母親も同
じ重さで対応しなければいけないはずであって。
だから夫と妻が、つねにあなたとわたしという関係をキープし続けることが出来れば
いいんでしょ。存在論的人間観というのはそういうことですよね。 |
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あ〜。 |
関根 |
肩書きで人を見るんではなく、その人の本質で見ればいいわけだか
ら。 |
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そういうことなんですよねぇ。
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関根 |
理屈からいくとね。 |
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ま、名前で呼び合うところまでいかなくても、そういう心でね。
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関根 |
そうなんだよ、心持ちがそうなっていればいいんですよ。べつに「あなた」と呼んで一向に差し支えない。でもそこには必要以上の肩書きを、そこに乗せないで。
肩書きで呼ぶってのは、俺あんまり好きじゃないから。おかあさんって呼ぶのはおかしいだろうし。妻をおかあさんって呼ぶ人、いっぱいいるじゃないですか。ね、夫をおとうさんって呼ぶの、なんかおかしいし。慣用句で使われてますよ、そりゃね。でも、実際はおかしいですよね。 |
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ふ〜ん。 |
関根 |
私のこと、おとうさんと呼ぶことが出来るのはただ一人、むすこの望だけですよ。うん、後は犬のトミーだけですよ。 |
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はっ、はっ、はっ、はっ…。 |
関根 |
そうでしょう。役割上はそうですよ。だから兄弟というのは差し支えない。でもおとうさんって呼ばれたら、非常に違和感を感じるよね。 |
…つづ
く
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