週刊アーサー、不定期便


いよいよ創刊号の最終回です。いかがでしたか?アーサーホーランドという人がわかっていただけたでしょうか。これからも不定期ですが、連載していきます。次のテーマも大体きめてあるんですけどね。これ言うと、アーサーが答えを用意するので内緒にしときます。これからもよろしくお願いします。
前回の「見えない宇宙を知る」話しは、とても印象的でした。 創刊号最終回は、アーサーがどうやって「見えない宇宙」を知ったのか、 その辺のことから始まります。
アーサー 俺自身がジーザスに出会う時に、波とか太陽とか風とかそういう自然界の背後にある、普遍的なエネルギーっていうのを感じたね。
聖書のローマ書の1章に「神は被造物を通して自分の存在を響かせる」ってあるけど、見えるもを通 して 見えないエネルギーってものを感じさせてくれる。
 
  俺はずっと見える肩書きの社会の中で生きてきて、レスリングで全米のチャンピオンになって肩書きを持ったことで、勉強は出来ないけどスポーツなら自分の存在価値を実証できた。
でも勝負の世界は勝てば優越感、負ければ劣等感、成功すればOK、失敗はだめだの社会で、もう白か黒かなんだよ。間のグラディエーションの部分は見えない部分だから。
見える結果だけの社会に没頭してると、これだけが社会なんだなあって思い始めんだよね。
でも、全米のチャンピオンになって記録には残っても、結局次ぎの年のチャンピオンが出て来てね。そうするとそういう山の中に埋もれた、ある時代のチャンピオンったって見えねえじゃん。
人間ってのは今も存在を認められたいし、のちにも認められたいんだよね。そうすると勝ってる"今"の時はいいけど、のちになったら過去の自分の中に生きて、それを引っぱりだして自分は価値ある存在と言わないとね。それってなんかさ、過去はそんなんだけど今はそうじゃないんだって矛盾感じるじゃん。
 
  そんな社会の中で俺もとことん名声を求めて生きてた分、「これだけが人生じゃねえよな」ってどっかで気づかされたんだよね。
やっぱ自然界ってのはさ、時代が変わっても風は吹くし、そういうものを通 して普遍的なスピリットってものを感じたね。
そんなことを思ってた時、自分の好きな柔道の恩師の誘いで教会に行ったら、そこにいたおじいちゃんおばあちゃんたちの俺に対する接し方が「肩書きの価値観」で人と接する接し方じゃなくて、人間としてまごころこめて「よく来たね。」って感じだったんだよ。
 
  そのおじいちゃんおばあちゃんが感じさせてくれたおもいやりや、どういう人間であろうが暖ったかく接してくれるスピリットは、彼らの信じているキリストのスピリットだったんだな。それが、俺を包んでくれる自然界のエネルギーとすごく似てたんで、俺の心は彼らの信じてるものに繋がっていったんだろうな。
だからキリストというのはどっか遠い2000年前の存在というより、今も人間のハートの中に生きていて、その人を通 して感じさせるもんなんだな。
編集 今はアーサーがバイクに乗りながら、誰かにそのスピリットを伝えてるんですね。
  ただのバイカーまがいの人間じゃなくてほんとにバイクに乗る奴は、バイクに乗ってようが乗ってなかろうがそのにおいを醸し出すように、キリストに乗ってるっていうか乗せられている奴には、そういうにおいがあるんだろうね。
だから俺もそういう部分をもっとにおわせたい、伝えたい。それは空気のように世界を包んでいる神のスピリットで、その普遍的なスピリットを伝えたい。
編集 最後に、世の中不況と言われてますが、一言アドバイスを。
アーサー バイクとのかかわりを通 して俺が変わったように、生きてるってことは絶えず変われるってことなんだけど、俺らはどっかで自分の立場を守らなければならない。
この世の中で生きて行くためにはこうしなければお金が入ってこない、生活出来ないってとこまで縛られちゃってんだよね。
でも結局会社やめて退職金もらった時、自分のまわりにどれだけの友達がいたんだっていったら誰もいなかった。そうすっと振り返って、今まで生きてきた生き方は何だったんだって思うよね。
   
  悔いのない生き方ってのは、損得ってことより自分が正直に生きてるかってこと。
一番いいのはお金を追っかけるんじゃなくて、お金がその生き方についてきてくれるってのが一番いいよね。神の国と神の義をまず第一に求めよ、そうすればすべてのものは与えられるってのはそういうことじゃねえのかなっていうふうに、たまーに思うことがあるよ。
編集 ありがとうございました。
アーサーホーランドへのメールは下記のアドレスへ(件名にアーサーと書いてください)
戻る