刑務所から出て来た青年との出会い。この人はホントにやさしい人なんだなあって思います。人の持つ弱い部分をみて、自分のことのように心を痛めてる感じです。
アーサーのわまりには派手なものが多いのですが、本質はやさしさの人です。
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<第10回 悪い奴>
刑務所なんか行くと、そこってもうスケジュール的な生活なんだけど、犯罪犯す人って起きる時間、寝る時間が逆転しちゃったり、その場しのぎで生きているところがあるんだよね。
そういう人は、聖書の中に出てくる風が吹き飛ばすもみがらのような人生になるんだよね。
そうじゃなくて水路のそばに植わった木みたいになれば良いんだけど、なかなかねぇ。
聖書の中に「幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。悪者は、それとは違い、まさしく風が吹き飛ばすもみがらのようだ。」ってあるけど、やっぱりねぇ、俺たち悪者のはかりごとに歩みやすいんだよね。
だから、幸いな人になれるはずなんだけど、幸いじゃなくて不幸な人になっちゃうわけ。
罪人の道にどうしても立っちゃうんだよ。
世の中の営みの中で俺たちってそちら側に傾きやすいんだけど、本当は裏の裏にとんでもねぇ悪いヤツらがいるんだよね。
だけどそういうヤツらは要領がいいから、悪いことに信仰的に生きてバランスあるんだよな。
わかるかなぁ?悪いことに信仰的なんだよ。
で、そういうヤツたちって悪知恵ってものがあって、純粋なヤツらに悪いことさせて自分たちは捕まらないようにするんだよな。餌にするわけ。
いろんな宗教の中でも純粋な信者っていっぱいいるんだけど、背後にいる指導者だとか教祖が悪いってあるじゃない…。ヤクザの世界と似てんなぁってとこあるよ。
さっきの青年の話しじゃないけど、借金してるヤツってのはさぁ、目先の金が欲しいんだよ。
捕まったヤツってのは、だいたい借金してて、こういう仕事をしたらこんだけのカネあげるよってことでとんでもないことしちゃうわけだ。
やっぱり、カネってのはすごいよね。
だってユダは目の前に神、懐にはカネでさぁ、カネに心奪われて三十枚の銀貨でジーザス売りとばしたんだよ。
神とカネ、「み」と「ね」の違い、紙一重だね。両方とも普遍的なエネルギーが働くよね。両方にね。不思議だけどね。
だから聖書は「金の良き管理者になりなさい」って言うけど、管理って言うのはさぁ、世の中が使う言葉じゃん。マネジメントってさぁ。
一般的に世の中のはみ出し者っていうのは、マネジメントが下手なんだよなあ。
悪知恵働かせてシノギして金儲けてるヤツは、やっぱりマネジメントが上手だから、借金している人たちの目先で、「こんだけあげるよ」「借金、チャラにしてあげるよ」とか言って、自分たちの為にいろんなコマ動かしてんだよね。
大きなヤクザ組織だったら、誰かの身替わりに刑務所に入る事によって、お金を積み立てしてくれるって世界だからね。
上には上がいるっていうかね、本当に悪いヤツは捕まらないのよ。
だから刑務所の中に悪いヤツがいるっていうよりも、外側に悪いヤツがいっぱいウヨウヨしてて、
こんないいヤツがなんでこんな悪いことするんだってのが多いんだよな。
ナイーブで純粋な幼子のようなヤツがいるよね。
やっぱり、騙されちゃうっていうか…。
全部が全部そうじゃないけどね。そういう人もいますよ。 |
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