週刊アーサー、不定期便

<第17回 自分を見つめること>

神様の愛を知れば知るほど、
自分は罪深い人間だなぁってことを教えられるんだよ。
だから罪深い自分を正直に現すことで、
その罪を赦してくれるイエスの存在ってのを、
こういうスタイルや口調で感じさせたい。
真理はあなたを自由にするっていう部分では、
以前話した
*ゲイの人なんかの方が自分の罪に対して、
正直であり認めてる。
教会の中の人のほうが、罪を隠すことが上手になってたりする。
*注「ゲイの人」---第11回ハレルヤとしちゃん参照)

真理はあなたを自由にするって言うのは、
普遍的な神の真理だけじゃなくて、自分自身にとっての真実が何かって
いうことを知ることかもしれない。
ゲイの人だけじゃなくてヤクザだってそう。
「ジーザスも好きだけどヤクザはやめられない。こんな私も神様信じて良いんでしょうかねぇ?」って聞かれたら、 「良いんだよ!」「そこから始めな!」って言う。
だって自分の力でヤクザやめれるんなら、
イエス様の力は必要じゃないってことだろ。

俺らは弱い。
その弱さを認めたら、弱いところを強くしてくれるのが神なんだから。
神様は遠くにいるんじゃなくて、みんなの近くにいて、
呼び求めたら出会える。
今あなたがヤクザならば、今あなたがゲイならば、
そのままの自分で呼び求めたら神に出会えるんだ。

だから、イエス様の空間っていうのはなんでも話せる空間なんだよね。
収税人のザアカイが、宗教家には裁かれたけど
イエス様と飲み食いしてたら
「自分がだまし取ったものは4倍にして返します。」って言ったんだよね。

神様を求めてんのは、偽善者じゃなくて砕かれた魂、悔いた心、を持つ人。
この主はさげすまれないって書いてあるんだから。
そう考えると、ヤクザの人達の方がまだ正直だと思うよ。
「やめられません。」って言った方がさぁ、うん。
「でも、イエス様を好きなんです。これでも神様に近づけるんでしょうか?」ってね。
そういう感じだよね。

 

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