週刊アーサー、不定期便
<第18回、生きたバイブルの言葉>

芸術家と芸人は違うって言うよね。
芸人というのは職人と似てて、
巨匠と言われる人たちから伝統を受け継いで、
その人に近付こうと絶えず腕を磨いている人たち。
だから伝統や形を重んじるし、そうゆう世界だと思うんだよね。
かたや芸術となると、古い物を壊して新しい物を生み出す。
だから他人とは違う、その人の中の個性を表現する必要がある。

俺もモデルの仕事をやってるけど、
こうゆう仕事ってモデルを選ぶ前に、
まず商品を引き立てる人や場面をイメージするわけ。
それからモデルエージェントに頼んで、
そのイメージのパズルに合う人を選ぶ。
そして、モデルは書いてあるシナリオ通りに
演技できる人じゃなきゃダメなんだよ。
なぜって、モデルにあまり個性がありすぎると
商品を食っちゃうからね。その辺のことが一番難しいな。

モデルの仕事は、この社会の中で作られた
定番のイメージを見せるというのがほとんどで、
その中で生きてゆくことが出来る人が
モデルとして常識的な人間だったり、
すばらしい人間だったりするんだけど、
俺に言わせれば、そうかなあって感じだね、逆に。
例えば俺が、なんかのコマーシャルで
半そでのシャツでドライブしているところがあるとするじゃない。
俺は全身入れ墨だから、車のイメージが
そうゆう人が乗る車ってことになる。それだとまずいんだよな。
3才のバレリーナが20才みたいな顔をして踊ってる
どこかの国みたいに、コマーシャルをつくらなきゃならない。
それが本当に表現することかなって思うけどね。

俺はそんな形で有名になるよりも、
自分の中にある喜怒哀楽で世の中の人とコラボレートしたい。
普通だったら入れ墨とかしていると断られる仕事も多いけど、
(俺の写真集を作っている)ヒデミさんは
「入れ墨とか、そういうアーティスティックなのがいいんだ。
それがアーサーなんだ。」って言うんだよ。

この前、松任谷由美のコンサート映像に出たけど、
バイカーはカラス軍団みたいに走って、
最終的に松任谷由美を引き立てるんだよ。
彼女を飲み込んだんじゃだめなんだよな。
だから、俺みたいな明るいキャラクターも
カラス軍団と同じにされてさ。
でも、それって俺のプライドが許さないんだ。
俺にとってバイクってのは旅をする相棒みたいなものなんだけど、
バイクをただの道具として使ってる奴はほとんどコスプレだろ。
そんな奴と俺を一緒にするなよな、
と言いつつも最近考えさせられるんだよ。
「じゃあ乗った距離でバイカーの価値って計られるのか?」ってね。
聖書に書いてあるんだけど、
8時間働いた者にも1時間働いた者にも
平等にお金を与えるというのが神なんだってとこを読むと、
バイクが好きな奴はみんなバイカーなんだと受け止めないと、
いつの間にか俺はバイカーの律法学者になってんだよな。
でも、それと共にプライドっていうのもあるんだけどさ。

バイブルの言葉を現代社会に生かすってのは、
そういうことなんじゃないかな。
でも職人的に伝道する人は、伝統的な神学の教えを
昔のままの言葉で表現するから、この時代には分かりにくくなっている。
だから伝わらないんだよ。
表現するってことは、自分の内側にあるものを現すことだけど、
表現したものを回りの人はどう感じているかを主観的、客観的に
感じとらなければならない。

なんで伝わらないのかっていうと、
多くの人たちは自己満足で終わってるんじゃないかな。
自分は神の愛を伝えているつもりだけど、相手には何も伝わっていない。
むしろ裁かれているような気分になる。

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