自分にとっての教会は自然界。
神が創造した天と地、自然界、この宇宙こそ神の教会。
ここに居る一人ひとりは、
みんな神によってデザインされている存在で、
いうならば同胞なわけだよ。
その人がアルマーニのスーツを着ようが、
セルティのスーツを着ようが、
要はスーツ脱いだら同じ人間なわけだよ。
キリスト教のスーツ着ている人もいれば、
仏教のスーツ着ている人もいる。
スーツを着ている時は、スーツがその人自身を
語ってるように思うけど、
要は裸の時にどういう生き方するか。
アダムとイヴは、
神の前では裸であっても恥ずかしくなかったって言うよね。
人間ってマニュアルとカリキュラムの奴隷になったり、
形の奴隷になったりするけど、
本質的には人間みな兄弟であるはずなんだよ。
マザーテレサってすごいなと思うのは、
仏教徒なら信仰深い仏教徒になれ、
イスラム教徒なら一番良いイスラム教徒になれ
と言ってんだよね。
彼女は、目の前で死んでいく人をかわいそうに思って、
その人たちをケアしてあげるんだよな。
自分の人生はどうしようもないと思ってたような人が、
マザーテレサに出会ってケアされることによって、
どうしようもない人生でもよかったって
死ぬ前に言えて、そして死んで行くことができた。
その人がイスラム教の葬儀を希望したら、
イスラム教の葬儀あげてくれるんだよな。
そういうのは形の上での自己満足かもしれない。
だって、それ以上の普遍的な神が居るわけだからさ。
神は俺らの着ている服のことを
とやかく言うんじゃなくて、
やっぱり愛してくれているわけだよ。
俺たちがそれに気づいているか、いないかだけの話。
それに気づかせるのが、俺の働きであり、使命。
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