週刊アーサー、不定期便
<第30回、人間らしい生き方を回復するーその2>

スマップの歌なんか聞いてると、
様々な花があっていろんな形してるんだと。
お前はお前らしい花であればいいんだ、
みたいに歌ってる。
そういう風に考えることが出来れば、
人が着ているものとかヘアースタイルとか、
そういうところでジャッジするんじゃなくて、
心と心でコミュニケートすることが出来る。
そしたら、クリスチャンっていうのは
宗教じゃないんだ、生き方なんだ、
人間らしい生き方を回復するスピリットなんだって
思えるんだよ。

宗教になると形が大事になって、
まわりを差別していくようなものになってしまう。
クリスチャンの中にもそんな人がたくさんいるよ。
俺にだってそういうところが無いとは言えない。
だからこそ、なるべくいろんなタイプの人と
コラボレートするようにしてるけど、
自分の中にあるものを表現することに
すごく恐れを感じる時もあるんだよな。
でも聖書は、
「恐れるな、おののくな。俺がお前とともにいるよ。」って
言ってくれてる。
神はともにいるんだよ、空気のように。
ただそれに気づいてないだけで。
むしろ気づけないような束縛の中に、
自分を閉じ込めてしまっているだけの話。

壁が崩れたらもっと開放されるんだけど、
崩す勇気がない。
その壁の中で上手に生きる生き方を
してしまうから、
そいつの本来の可能性を発揮しないで
生きつづけてしまうわけ。
でも、それじゃ面白くないだろ。
聖書は、キリストの姿に栄光から栄光へと
変えられるって書いてあって、
人間はそうゆうふうに開放されているのに、
いつのまにか自分で形を作ってしまっている。
だから最初は、
少しずつ形の中で脱皮していくしかない。
やっぱりそれの繰り返しじゃないかな。

脱皮していくということは、
マニュアルとかカリキュラムとか、
それまでの経験に頼ることじゃなくて、
今生きてる中での信仰とか信頼とか、
神との関係に目を向けることなんだ。

人間って、知識を重んじるから、
科学的に実証されないと信じない。
でも科学で実証されているものと
されていないものを比較したら、
実証されていないものがはるかに多い。
たとえば銀河系の星だって、
知ってる星より知らない星の方が全然多い。
でも人間は知ってる星だけで、
全部知ってるかのように思ってしまう。
お前はわかってるって言うけど、
実は全然解ってないんだって言う
聖書の言葉のとおりなんだよ。
そして、まわりの人より
自分をえらく思うなって書いてあるのに、
えらく思ってるんだよ。

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