週刊アーサー、不定期便
<第36回、進歩がもたらすもの>

お互いに "まごころ" こめて生きていきましょうって、
これ、俺のテーマでもあるけど。

お金っていうのは自分の心の鏡だから、
お金を見るときに、自分自身を見せられるんだ。

カネの奴隷になるんじゃなくて、
人を幸せにする使命を持って行動したら
カネは後からついてくる。
それを頭で分かってても、
やっぱりカネがすべてだと思ってる人は
どうしてもカネに振り回されるからね。

カネの欲は悪の根だっていう表現は、
うまいこと言ってるなって思う。
そこがいつも俺たちの戦いだと思うよね。

生きててよかったなとか、
生きてる喜びってのは、
お金があるとかないとかいう次元を
乗り越えたとこだと俺は思う。

お金は生きていくうえで必要なのは
当たり前なんだけど、でも昔の生活を考えてみなよ。

昔、こうゆう近代社会じゃない時はさ、
漁師が大漁だった時に、
山で農業やってる友達のところに、
「こんなに獲れたんだけど、
食べきれないからぜひどうぞ。」
って持っていく。

そしたら向こうも、
「大根が豊作だったからどうぞ。
ついでにお米も。」ってゆうふうに、
共存して助け合ってる時代があった。

でも、社会の近代化にともなって
自然も破壊されてきて、
日本なんか食料は外国から輸入しないとだめになった。

60年代くらいまでは農業も盛んだったけど、
だんだんお金がかかるようになってきて、
外国から輸入した方が儲かるようになった。
そうやって、カネ指向にどんどん行ったんだよ。

工業製品でも輸入品が増えてきて、
気が付いたら他の国に頼らないと
やっていけなくなってる。
その頼り方が、お金中心なんだよ。

そうゆう、時代の流れによって、
ハートとハートの繋がり、思いやり、
なんてものは言葉だけになって、
実感として感じられないんだよな。

そして今、グローバルになった分、
自分の知らない土地で仕事するようになって、
ますます心に距離感が出来てきてる。

誠意とか、いろんなことが
すべてお金に置き換えられる社会。
それがいけないんじゃないけど、
変化のスピードが速すぎて、
心の部分がついていってないよね。

そうゆうギャップが、
やっぱり社会の中にひずみを
もたらしてるんじゃないかな。

ホームレスとか、犯罪者とか、
いろんな人たちを見る時に、
社会そのものを垣間見せられる気がするね。

家庭崩壊、父親不在、離婚、
生まれながらにして施設に預けられている子供。

社会の近代化の中で、
人間の尊厳とか、価値観とか、
そうゆうものが薄れていってんだろうな。

…つづく

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