教育委員会に呼ばれて、
PTAの人たちに話すこともあるんだよ。
「大切なものはいったい何か」というのがテーマだけど、
俺は、その時のひらめきで話すからね。
肩書きとか学歴で人間の本質が決まるんではない
ということは、当たり前。
でも世間はそうゆう部分で決めてしまうとこがある。
じゃあ、有名な大学を出たら
そいつはいい人間かと言うと、
そうじゃない場合もあるだろ。
登校拒否やいろんな問題のある子の方が、
社会に対してメッセージを発してるんだよな。
マニュアル的な、文部省推薦の教育に対して、
「自分はそんなこと出来ない。」ってね。
出来ない子は失格者なのかというと、
逆にそうゆう奴は、より敏感なんだよ。
ケースバイケースはあるにしてもね。
今の教育って、何なんだろうって思う。
この間も、学校の先生をしている
知り合いに会ったんだよ。
奥さんも子供もいるやつなんだけど。
そいつは高校の先生だったんだけど、
生徒の女の子と付き合うようになったんだよ。
でも、それが公になって、学校をクビ。
そして奥さんともうまくいかなくなった、
ってそうゆう状況にいてさ。
どんなにいい大学を出て教師になっても、
その一発で剥奪されんだよ。
この社会の中では、もう教師にはなれない。
でも逆に考えると、そうゆう社会的な失敗を通して、
教師として本物になっていく、
と俺は思うわけ。
教員免許を持って、
先生という肩書きで、
文部省推薦のカリキュラムの教育をこなせれば、
それで先生の仕事はOKなのか?
失敗をして、教員社会に入れなくなっても、
本当に教育者ならば「教育ってなんなのか?」
ってことを自分に問いかけながら、
失敗から学びとって教えていくってのが、
本当の教育じゃないかって、俺は思うんだよな。
だからそいつは今ピンチだけど、
今まで自分が教育者として上がっていた土俵が、
マニュアル優先であり、
自分の中にもそれに頼る弱さがあった
ってのを発見するきっかけになった。
完璧な奴なんていない。
先生だって、一歩間違えれば
とんでもないことをしてしまって、
人を傷つけることだってあるんだよ。
でも、 ピンチはチャンスであり、
弱いときこそ本当に強くなれる。
本当の教育者って何なのかを考えることによってね。
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