岡本太郎は、本の中でこう言ってる。
ピカソを奉るのはいいけど、
でもピカソを乗り越えないとだめ。
ピカソはそれをみんなに望んでるし、
ピカソだけが芸術の象徴じゃないんだ。
ピカソは、自分の中にあるものを表現した。
今度はそれを見た人が、
ピカソをぶち破るような
アーティストにならないと、
結局世の中はピカソで終わってしまう。
音楽の場合だと、カラオケで歌ってもいいんだよ。
だけど、決められた形に慣れちゃだめだ。
セミだって殻からはじけてくるし、
蝶だってさなぎから飛び立っていく。
ヘビだって脱皮する。
俺のメッセージも、
慣れと形の方が優先すると、
命ってものが出なくなることがある。
そうゆう時には、その日常の殻を
破っていく必要がある。
アンドレアっていうのは、
プロフェショナルシンガーだから、
絶えず殻をぶち破って、
心の中にあるスピリットを表現出来るんだよね。
三上も自分の中にあるものを、
殻をぶち破って表現すればいいけど、
カラオケに合わせることで必死だから、
殻を破ることが出来ない。
だからかえってギター1本でやったほうが、
ゴリアテに対するダビデみたいに、
自分らしさが出てよかったと思うよ。
俺もそうだよ。
メッセージを語ろうと思ったら、
30〜40くらいのストックはあるから、
どれでもすぐに出せる。
そうやって出してきたものが、
今ここで聞いてくれる人たちに
必要なのかというと、
それは別ものだよね。
決まったパターンの中に人を入れて、
メッセージをするのは簡単。
でも、俺がやってる解放とか自由とか、
人を祝福するってのは、
社会に出ていって壁をぶち破らないと
届かない。
そうすると、以前語ったメッセージを
繰り返すんじゃなくて、
気持ちを新しくして、
過去を乗り越えていくような
スピリットでやらないと、
人には伝わらない。
そこがいつも 俺のテーマだと思うんだよ。
だからパーティーでも、
そこにいる人、
流れている空気、
様々な動き、
そんなことを敏感に察知する。
パーティーが始まると、
俺はいろんな人のところに行って、
「今日はよく来てくれました。」って 話しかける。
それで、その人の「気」を感じ、
それからメッセージをする。
俺は最初に人と話しをしながら、
網を広げてんだよ。
メッセージの時には、
網を引っ張ればいいだけ。
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