週刊アーサー、不定期便
<第43回、何のための働きか>

俺が人に対して語ってることは、
俺自身の価値観なんだよ。

だから同じことを語ってても、
なにか失敗して悲しいことがあれば、
結果的にその悲しみも共有してる。

俺が生きることに対して
前向きのパワーを持っていれば、
それも伝わるし。

だから俺は、相手の上に立つこともない、
下に立つこともない。
同じアイレベルでこの社会を生きてる。
この世の中の善と悪の狭間を、共に生きてる。

俺たちは悪に傾きやすいけど、
99%が悪に行っても、
1%が善であるならば、
その1%が99%を飲み込むような
パワーがあるんだということを
実感しながらね。

そういう期待感、希望が信仰であり、
それこそ復活した主ご自身のパワーなんだよ。

そのことを、そのまま語るんじゃなくて、
生き方の中で相手にもわかる言葉で
どれだけ表現出来るか。
それが、現代の伝道者に問われていることだよ。

メッセージや伝道ってのは、
宗教的にアプローチすると、
他の宗教と対立することもある。

自分の方が正しいという
ジレンマの中で格闘して、
挙げ句の果ては戦争。

俺のメッセージは、宗教じゃないんだよ。
キリスト教じゃなくて、キリストなんだってね。

神はそのひとり子を地上に送ることによって、
神の存在を信じさせようとしたんだから、
俺たちも、自分の生き方を通して
神を伝えていかない限り、
人は納得しない。
それでも納得しない人は、いっぱいいるんだから。

でも、そうやって本音で生きていけば、
結果はどうあれ、
俺は走るべき道を走り抜いた、勇敢に闘った、
信仰を守り通したっていうことで、
生きてきたことに悔いはないと思うよ。

苦しんだことは本望だったとかさ、
かっこつけて言うんじゃなくて、
本心から言えるようになれればね、いいよなと思う。

…つづく

アーサーホーランドへのメールは下記のアドレスへ(件名にアーサーと書いてください)
*皆様からのメールは必ずアーサーに転送されますが、本人から直接返事が来ることは
ありませんので、ご了承ください。

戻る