第832回「賛美歌というもの」
私たちが賛美をするとき、いったい誰に向かって歌っているでしょうか?本当のところ誰に聞かせているのでしょうか?
私はいくつかの歌詞を書いてきましたが、日本の賛美の中には主語がわかりにくく、文体が統一されていなくて、この歌は誰に向かって歌っているのだろうと考えてしまうような歌や、訳された歌が多いので日本語としてこなされていない歌詞が案外多いことに大変不安を感じたことが作詞の動機のひとつにありました。
気分よく歌えることは良いことですが、何を歌っているのか吟味することは大切であり、誰に歌っているのかを考えることも大事なことだと思います。
お互いのために励ましあう歌が必要ですし、相手の祝福を祈る曲もあってよいし、教訓めいた歌だって必要です。でも、教会における賛美、礼拝における賛美は神様に向かってほめ歌を歌うということが欠けてしまってはならないのだと思います。神様に向かって歌うという原点を忘れてはならないのです。
パウロの言葉を思い出します。
「キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめたたえなさい。」
コロサイ3;16
祝福がありますように、心から祈ります。 |