第833回「祈り、賛美すること」
神様に向かって祈ることができるということ、神様に賛美することができるということは、私たちにとって「希望」です。もしかしたら、最終的な希望の拠り所かもしれません。私たちの貧富、能力の有無、社会的な立場に関係なく私たちは神様に祈ることができ、賛美をささげることができます。大人でも子供でも、男性でも女性でも、ひとりでも、大勢でも私たちは神様に祈ることと歌うことができるのです。
つまり、悲しみも、喜びも、嘆きも欠乏も知ってもらうことができるのです。私たちは、祈ることを忘れ、歌うことを拒否してしまうといつの間にか表情が凍りついてしまい、涙も出なくなってしまいまいます。表情ばかりでなく、心が凍りついてしまうのです。
人間として血の通った生き方を望むのであれば、私たちは「祈ること」と「賛美すること」をどこかで学習する必要があるように思います。祈りと賛美を日々の生活の中で、ことばに出来るといいですね。
ヘブライ人への手紙の中にこんな言葉があります。
「 わたしたちはこの地上に永続する都を持っておらず、来るべき都を探し求めているのです。だから、イエスを通して賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえる唇の実を、絶えず神に献げましょう。善い行いと施しとを忘れないでください。このようないけにえこそ、神はお喜びになるのです。」
ヘブライ13;14-16
神様からの祝福がありますように。 |