本物の牧師が語る聖書からのメッセージ
「バイブル・エッセー」のコーナー!


主は御自分の民に贖いを送り契約をとこしえのものと定められた。御名は畏れ敬うべき聖なる御名。主を畏れることは知恵の初め。これを行う人はすぐれた思慮を得る。主の賛美は永遠に続く。

詩篇、111:9〜10

第842回「主を畏れる」


神様は、私たちが神様を愛する前から、私たちのことを愛し、私たちが賛美をささげる前から、私たちのための祝福を用意してくださっています。しかも、そういう意識を「永遠的」に持ってくださっているのです。私たちへの祝福の意識を永遠的に持ってくださっている神様って考えたことがありますか?

私たちの善意や好意は一時的なものがずいぶんあります。あきてしまったり、心変わりしたり、私たちの誠実さにはあてにできない要素が含まれています。しかし、神様の契約、約束、祝福しよういう意欲は「とこしえ」なのだと
詩編は教えています。鳥肌が立つくらいうれしいことです。

そして、詩編や箴言の中心的なテーマが書かれています。
「主を畏れることは知恵の初め」
神様を怖がることではなく、尊敬し、礼拝の対象としてしっかり心に留めること、それが知恵の初めだというのです。知恵の初めということは、人間らしい生き方の初めであり人と人との友好的な関係の初めでもあるのです。

「主を畏れる」ということの反対は「自分を神とし、自分の上に権威を認めない」ということでしょうね。今の社会の問題の根源を見るような気がしますね。すべての人がクリスチャンになるとか、ならないとかいうことではなく「主を畏れつつ生きる」という姿勢そのものが、問われています。実は、クリスチャンの中にだって、本当に主を畏れつつ生きているのかどうかしっかり、吟味が必要だろうと思います。人格的な練り上げは、ここから始まるからです。

神様を畏れつつ、賛美をささげつつ、今日も過ごしましょう。
祝福を心から祈ります。

関根一夫

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