本物の牧師が語る聖書からのメッセージ
「バイブル・エッセー」のコーナー!


主に従う人はとこしえに揺らぐことがない。彼はとこしえに記憶される。

詩篇、112:6

第843回「私を知っている存在」


主に従う人がとこしえに記憶されるという言葉に目が留まりました。必ずしも歴史的に有名になり、歴史の教科書に載せられるということではないでしょう。もちろん、そういう人たちもいるとは思いますが。主を信頼し、従う人たちの存在そのものは、神様に知られ、神様の心にしっかり記憶されるのです。つまり、神様は、いつでも、私たちのことを覚えていてくださり、私たちのことを心にかけていてくださるのです。

誰か実力者が、あなたのために心を傾け、何か支援しようと、いつでも笑顔であなたに「何かできることがあったら、言ってくださいね」と言ってくれているとすれば、ずいぶん大きな希望や励ましを持つことができるはずです。神様は、私たちに対して、そういう思いを向けてくださっています。神様に知られているという出来事は、私たちにとって、それはそれは心の躍るような希望につながる出来事なのです。

たとえば、スーパーマン(古いねえ)が助けに来るのは、どこかで彼に知られている存在に対してです。それはスパイダーマンも、バットマンも同じです。世の中には、山ほど似たような問題を抱えている人があるのですが、スーパーヒーローが助けにくるのは、どこかで、彼らがその存在を知っている人たちのところです。スパイダーマンやバットマンに知られていることは安心の材料のひとつでしょうが、天地をお造りくださった父なる神様に知られていることは、その比ではありません。もっとも、最初から比較すること自体が失礼ですよね。片方は作り話ですもの。

パウロはこう書きました。
「自分は何か知っていると思う人がいたら、その人は、知らねばならぬことをまだ知らないのです。しかし、神を愛する人がいれば、その人は神に知られているのです。」1コリント8:2〜3

神様に知られていること、それを喜ぶことが、礼拝の原点なのかもしれませんね。

祝福が豊かにありますように、心から祈ります。

関根一夫

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