本物の牧師が語る聖書からのメッセージ
「バイブル・エッセー」のコーナー!


死の綱がわたしにからみつき陰府(よみ)の脅威にさらされ苦しみと嘆きを前にして主の御名をわたしは呼ぶ。「どうか主よ、わたしの魂をお救いください。」主は憐れみ深く、正義を行われる。わたしたちの神は情け深い。哀れな人を守ってくださる主は弱り果てたわたしを救ってくださる。

詩篇、116:3〜6

第847回「こころの健康」


肉体的な救いという側面ばかりでなく、魂の救いと呼ばれる部分に言及しているこの詩は、最終的な安心の場所というか、肉体を超えた世界への旅立ちの不安からの脱却を神様に祈り求めています。私たちには、肉体的物質的要素への充足欲求と精神的、霊的な面についての充足欲求があります。

スピリチュアリティといわれている、霊的、精神的な分野への充足の必要性は世界保健機構などの前文にもうたわれています。ただ私たちは、そういう分野への充足の必要性については、頭ではわかっているつもりでも、実際にそれを求めることを祈ったり行動したりするかというと、なかなかどうしたらよいのかさえわからないということが多いかもしれませんね。

祈り、賛美、礼拝、黙想、聖書のことばを思い巡らすこと、それらの行為は
私たちの霊性を高め、整えるために重要なことです。主の御名を呼ぶこと、これは、神様の本質的なご性質に心を向けながら、神様がどういうお方であるかを思い出し、思い巡らしながら祈ることに通じています。つまり、憐れみ深い主を思い出し感謝しながら、その線にそって祈ること正義を愛する神様を思い出し、また、情け深い神様を思い巡らしながら神様に救いを求めること。神様は、こういうお方だからきっと、この件について救いの道を提示してくださると信頼できると、祈りも呪文や単なる社交辞令とは違ってきます。

ヨハネはこういう挨拶を送りました。
「愛する者よ、あなたの魂が恵まれているように、あなたがすべての面で恵まれ、健康であるようにと祈っています。」3ヨハネ1:2

魂にも肉体にも、関係にも必要にも、神様からの祝福がとどきますよう祈ります。

関根一夫

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