本物の牧師が語る聖書からのメッセージ!

目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか。 わたしの助けは来る、天地を造られた主のもとから。

詩篇、121:1〜2

第852回「山の向こうからくる助け」

この詩は、イスラエルの人たちがエルサレムの神殿に詣でるとき、その神殿のある丘を見て心が躍るような思いで、主の救いはそこから救いをもたらしてくださることへの信仰を歌ったものと言われています。

でも、海のない県で育った私にとって、もっとわかりやすいのは「山々に囲まれた閉塞感」の中で、主の助けは、その向こう側、その山を越えた、天地の作り主としてどんな問題や困難の山々のはるか彼方から救いを届けてくださるのだという説明のように思います。

ちょうど、ダビデが山のような大きな敵ゴリアテの向こう側に神様の助けを見ていたように。山の向こうに、主の助けがあると考えることができると希望につながります。もちろん、海や山々をおつくり2なった神様が私の味方なのだと信じることができることも、うれしいことです。

天地の創造主であるお方からの助け、天地を造られたお方がわたしたちの味方という発想ほど心が安心できるものはありません。当然、私のいのちの造り主であり、守り手でもあるからです。

あなたの近くに見える山々、それは神様がお造りになったものであり、その力はあなたを助けるための力でもあります。あなたの近くに見える山々、諸問題があなたを取り囲んでいるとしてもきっと、神様はその山の向こう側から助けを届けてくださいます。

祝福が届きますように。

関根一夫

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