「平和」と「幸い」があるように祈ることが、果たしてどれほどあるでしょうか?
戦争をしている国々のためであれば、比較的祈りやすいかもしれません。でも、平和と幸いは、そういう国にのみ必要なのではなく、私たちの一番身近な人間関係の中に、また私たちの日常生活で関わる人たちとの関係の中にこそ必要なものです。祈ることも祈られることも必要なのです。
私は最近、自分の信仰や働きの維持、継続のために、私は何と大勢の人たちに祈られていることかと気づかされ、圧倒される思いになることがよくあります。
祈り、祈られる関わりの中に、私たちは「平和」と「幸い」を発見することが
できるのかもしれませんね。
そもそも、最大の平和と幸いは「孤立」の中には見出すことはできません。「きずな」の中にこそ存在するものだろうと思います。
日々の聖句の読者のお一人お一人の上に、神様からの「平和」と「幸い」が今日、届きますように。心からお祈りします。私のための励ましや祈り、支援などを、いつも心から感謝しています。
良い一日をお過ごしください。
祝福がありますように、祈りつつ。