本物の牧師が語る聖書からのメッセージ!

主がわたしたちの味方でなかったなら、わたしたちに逆らう者が立ったときそのとき、わたしたちは生きながら敵意の炎に呑み込まれていたであろう。
そのとき、大水がわたしたちを押し流し、激流がわたしたちを越えて行ったであろう。
そのとき、わたしたちを越えて行ったであろう、驕り高ぶる大水が。」。

詩篇、124:2〜5

第855回「身に着けたいもの」

ダビデが書いた詩として紹介されていますが、大変興味深い内容です。神様が私たちの味方だったので、相手の敵意からも高慢からも救い出されたのだと歌っています。

神様が私たちの味方であるということは、私たちにとってどれほど心強い出来事になっているでしょうか?単なる飾り言葉になってしまっているとしたら、残念なことです。

興味深いと書いたのは、神様が私たちの味方でなかったら、私たち自身も自分の心にわきあがってくる「敵意の炎」や「高慢の大水」に打ち勝つことはできないのだと教えられたからです。

私たちは、知らず知らずのうちに「敵意の炎」や「高慢の大水」で相手を威嚇し、不和を作り出し、優越感に浸る傾向があるのです。ただ、神様が味方でいてくださるので、自分の敵意や自分の高慢を抑えることができるようになっているのだと思います。

心を穏やかに保つことは時にむずかしいものです。敵意の炎を燃やす私たちに、神様は、十字架を指し示し、この出来事のゆえに赦してあげなさいと私たちに迫り、高慢の大水に飲み込まれそうな私たちに十字架を示し、主キリストは人のために卑しめられ、苦難を通過したのだから、あなたもその謙遜の道を進みなさいと語られるのです。いわば、「負けるが勝ち」ですかね。

そういう教訓は、私たちに時々必要ですね。敵意と高慢に飲み込まれないために。優しさと謙遜さを身に着けたいものですね。

祝福がありますように

関根一夫

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