本物の牧師が語る聖書からのメッセージ!

主に依り頼む人は、シオンの山。揺らぐことなく、とこしえに座る。 山々はエルサレムを囲み主は御自分の民を囲んでいてくださる今も、そしてとこしえに。

詩篇、125:1〜2

第856回「山の話」

私は海のない県に生まれ育ちましたので、どちらかというと山との関係が深いような気がします。

祖父が炭焼きを仕事にしていたこともあって、その山小屋のような仕事場に良く行きました。静かな山の中で黙々と働く祖父と一緒にいることが私は好きでした。少年の頃の懐かしい思い出です。

小学生の頃から教会のキャンプでよく出かけたのは赤城山。そこで私はクリスチャンになりました。

栃木県の足尾町という銅山で有名なところに住んでいたときには教会の裏のはげ山が遊び場でした。

松原湖バイブルキャンプや、エジプトのシナイ山(ずいぶん話が飛びますが)
など、心が洗われる思いをしたのも山の中でした。

山の中にひとりで取り残されたら孤独ですが、山そのものが感じさせてくれる安心感のようなものは、不思議ですが、存在します。東京タワーを見てふるさとを思い出す人もきっと居ると思いますが、富士山をみて日本を感じる人の数はもっともっと多いでしょうね。何かそこに「不動」という存在感がありますよね。いついってもそこにあるという安心感、存在感があるのです。

神様を信頼して生きている人は、山のような安定感を持っている、そして、神様は山々がエルサレムを取り囲んでいるように、信頼する人たちを取り囲んでいてくださると詩篇は歌います。

私たち、不安定極まりない人間を神様は、不動の山のように、安心して、希望をもってそこに存在することができるようにしてくださいます。神様は、私たちの必要を満たし、私たちが倒れてしまわないように、さまざまなケアをしてくださいます。神様の見守りも約束されているのです。

心静かに、そのことの意味の深さをしっかりと確信したいものだと思います。

神様の祝福がありますように

関根一夫

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