神様に知られている不思議さ、神様に支えられているすばらしさがこの詩篇には書かれています。
まだ母親の胎内にいるうちから、いいえ、それ以前から自分の存在が神様に知られており記録されているという表現の中には、人間のいのちと存在の不思議さや、神様の創造のわざの見事さ、そして神様の実にきめ細かい様々な配慮や恵みが讃えられています。それらは、あまりに数多く、数え切れるものではないとも書かれています。
神様の恵みは、確かに驚くばかりのものであり、神様の私たちへの愛の配慮は数え切れるものではありません。でも、そうだとすると、私たちは、神様への感謝を捧げることをもう十分だと言ってやめてしまうことはできないということにもなりますよね。
礼拝の土台となる、神様への感謝は、数え切れないほどあるはずだと詩篇の
作者は訴えているようです。
そもそも、この日をこうして向かえることができ、皆様にこういう文章を配信することができることひとつをとっても、当たり前のことではないですね。
確かに、人は神様からの御計らいを得てこそ、その日その日を生きることができるのです。神様の計画や大きな思い入れがあるからこそ、あなたもわたしも
今日、生きることができているのです。
神様の期待や思いが何なのか、全部はわかりませんが、中心は神様を愛し、人を愛し自分を愛することと言えるでしょう。生かされていることを感謝しています。
神様からの祝福を祈ります。