苦難の中で、絶望感を味わいながらダビデは、神様との関わりや神様からのいろいろな祝福を受け取った出来事などを思い出しています。
あなたの御手のわざを静かに考えています。と書かれていますが、この「静かに考える」という習慣がいつの間にか私たちの生活の中から消えてしまっているような気がしてなりません。
静かな場所の少ないことといったら、東京は、本当にすごいです。しかし、音がしないという静けさだけの問題ではなく、心が静かにできるかどうか、心の中から雑念を追い出して、黙想することに私たちはなかなか慣れていません。
そもそも、そういう静けさを嫌う傾向さえあります。
しかし、私たちには、どうしても、沈黙と向き合い、静かな心で自分のありのままを見るという勇気が必要です。人の評価ではなく、神様のことばをしっかりからだにも心にも浴びながら、聖なる希望を持つことができると、人生は豊かになります。絶望に押しつぶされることがなくなるからです。
手を差し伸べるという表現は、祈りを捧げるという意味であり礼拝を捧げている姿勢でもあります。静けさの中で神様のみわざを考え、神様からの祝福を考え、感謝し、礼拝する。そこから重大な新しい一歩が始まるのです。