神様の支え、助けによって生かされている自分の姿をしっかり捉え、同時に、なぜ神様が自分のような者に心を留めてくださっているのか思い巡らしている詩です。神様の偉大さと人間のはかなさが、表現されています。
私たちの人生には「あたりまえ」と言い切れることは、本当はあまり多くないのかもしれません。様々な例外があり、さまざまな驚きが私たちの周りにはあふれています。
そもそも、私たちがいのちをながらえることが出来ていること自体、ここに生かされ、こうして神様との関係や人との関係について思い巡らすことができていること自体、不思議なことだなと思います。
人の生涯はあっけなく幕切れを迎えることがあり、多くの場合、その人の死は人生の何かを中断したまま、仕事の途中、道半ばでのことが多いのです。
そんな、はかなさを常に背負っている私たち、ある意味であてにできない私たちに対して、神様は誠実に約束を果たし、守り、導き、支えてくださいます。それは、まさに、神様から私たちへの「おどろくべき恵み」であり、「不思議なほどの優しさ」です。
王として君臨しているダビデでさえ、自分のはかなさを知っているのです。私たちの中に、身の程を知るということ、つまり神様の大きさと自分の小ささをしっかりうなずく姿勢が必要です。自分の人格の成熟のために重要なことです。主を畏れるという姿勢はまさに、ここにあるのですから。
今日も神様の不思議なほどの優しさに触れ、感謝できる日になりますように。
祝福がありますように。