私たちは、国民に主権があり、民主的な手法で国が治められるという考え方に慣れているので神様に主権があり、その統治権も神様にあるという言葉を読むと、何となく古めかしい、独裁的なにおいを感じて、違和感を持つ人もあるかもしれません。
しかし、聖書は、創造主である神様を教えているわけで、すべて「生きている存在」
に対する「いのちの与え主」としての主権者こそ私たちの神様なのだと指摘しているのです。
そして、その「いのちの与え主」であるお方の心の中心にあるのは、「愛」であり「生きなさい」という思いです。
愛ゆえに、弱いものに対する優しさで満ちています。神様の絶大な力は、倒れている人、うずくまっている人、飢えている人いのちあるすべての存在に対して「愛と祝福」をもたらすべく、向けられています。与え主であり、満たしてくださるお方なのです。
物質的にも、精神的にも、霊的にも、この主権者である神様ご自身が私たちの必要に応え、すべての必要を満たしてくださるのです。問題は、私たちが、神様に求めているかどうか、このお方を待ち望んでいるかどうかということかもしれません。
神様からの祝福がありますように。