神様の愛の対象は、必ずしも、社会的に優れた人やお金持ちではなく
虐げられ、打ち砕かれ、傷を受けている人たち、無名の人たちに対して
心が向けられているようです。
もちろん、自分に自信がある人や神様の助けなど不要だと感じている人たちに
対しても神差の恵みは届いており、いのちの祝福がまさに神様から届いて
いるのですが、神様との個人的な交わりを豊かに味わえる人は、
自分の弱さを認めることが出来る人、心に傷を持ち、痛みを覚え、
神様の助けなしには一歩も先に進めないと感じている人、
神様に助けて欲しいと願っている人たちです。
主は星に数を定め、それぞれに呼び名をおあたえになると書かれていますが、
私はオーストラリアの真ん中の砂漠で夜星を見てその数の多さに驚嘆し、
エジプトのシナイ山のふもとの砂漠の真ん中で星を見て、この言葉を思い出して
からだが震えるほどの感動を覚えたことがありました。
神様は無数に思える星の一つ一つの名前を呼んでくださるということと、
無名に近い私の存在を覚えていてくださるということが心にしっかりダブったのです。
そうです。あなたは神様に覚えられ、いわゆる集団の中のひとつという数字ではなく
あなたの固有のお名前を神様はしっかり覚え、呼んでくださいます。
そこに、私は神様のやさしさを感じます。
あなたは、あなたとして、その名前で神様に覚えられているのです。
祝福がありますように。