本物の牧師が語る聖書からのメッセージ!

ハレルヤ。新しい歌を主に向かって歌え。主の慈しみに生きる人の集いで賛美の歌をうたえ。

詩篇、149:1

第880回「新鮮なこころで」

新しい賛美を神様にささげるべきこと、とにかく、主にむかって感謝をささげ、賛美をささげることが大切なこととして教えられています。

しかし、だからといって、歌う賛美全部が新しい作品でなければならないということはないはずです。問題は私たちの心です。私たちが古い賛美歌の曲を新しい心で、新鮮なきもちで歌えるかどうかということです。新しい歌は必要ですし、神様に愛され、守られていることを深く味わっているならきっと新しい賛美の曲はできてくると思います。

しかし、同時に、古い歌も新しい歌も、心をこめて、まるで新曲を歌うような心境で歌えているかどうか。実はこの姿勢は自分にとっての礼拝が新鮮なものとなるか、どうでなくつまらなく感じるか、その分かれ目ともなるはずです。

賛美を楽しみ、賛美で心を躍らせるという意識は大切なことだと思います。もちろん、礼拝ではそこに集まっている人たちのことをよく吟味しテンポや音量、楽器の選択、歌詞の内容の吟味などについても調整が常に必要かもしれません。音楽ほど好き嫌いで幅の大きいものはありません。牧師や賛美リーダーの独善は危険ですね。にも、かかわらず、賛美は必須条項としてしっかり勧められているのです。

そして、この詩編での「礼拝」の定義は興味深いですね。「主の慈しみに生きる人の集い」ですって。礼拝は「強い人たち、出来る人たち」の集まりではなく「主により頼み、主の慈しみを信頼して、愛を分かち合いながら、かろうじて生きている人たちの群れ」とも理解することができるかもしれません。

強がりは危険ですね。高慢も戒めなければなりません。小さなしもべとして、心から神様を賛美し、教えと助けを求めつつ礼拝に参加したいですね。

祝福がありますように。
関根一夫

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