太陽の下、人は労苦するがすべての労苦も何になろう。一代過ぎればまた一代が起こり永遠に耐えるのは大地。日は昇り、日は沈みあえぎ戻り、また昇る。風は南に向かい北巡り、めぐり巡って吹き風はただ巡りつつ、吹き続ける。川はみな海に注ぐが海は満ちることなくどの川も、繰り返しその道程を流れる。何もかも、もの憂い。語り尽くすこともできず目は見飽きることなく耳は聞いても満たされない。
コヘレトの言葉(伝道者の書)、1:3〜8
第882回「生かされている」
だからこそ、自分の小ささを認める姿勢が大切なのかもしれません。雄大な自然の中に置かれ、その中でひととき、生きることを赦されているお互いであることをもう少し謙虚に受け止めるべきなのかもしれません。満足できにくい、欲の皮のつっぱった私たちですが、今この時代に生かされ一緒に泣いたり、一緒にわらったりできていることを、その一瞬、一瞬を貴重なものとして、うなずくことがとても大切なものなのだと思います。 確かに、私たちの日常は、記憶に残るとはいえ、その記憶もそんなに確実なものではありません。だからこそ、生かされている今を丁寧に過ごしたいものです。自分の祝福を祈ると同時に、ともに生きている、あの人、この人の祝福を祈りながら生きること、それができると、満たされない部分は残りながらも何か満たされる部分もあることを実感できるようになるのです。 祝福がありますように。