「お金があるときは時間がなく、時間があるときにはお金がない」という言葉を良く聞きます。それは、とても残念なことですが、それ以上につらいことがあります。「お金があり、才能もあるのに、愛されたことがない」という人生です。今朝の聖句に語られている不幸の根源は、お金が無い人生だったということではありません。お金も名誉も長寿さえも彼はもっていたのです。しかし、不幸でした。それは、「自ら享受できなかった」「葬儀もしてもらえなかった」とあるように、人との関係におけるいざこざがあり、愛されることがなかったということによる不幸です。
お金があること、名誉があること、長寿を全うすること、これらはすばらしいことであり、それ自体は本当に大切なことだと思います。でも、それを目標にしながら人を蹴落として生きていくとなると、行き着くところは孤立であり、不幸なのかもしれません。
人との関わりは常に難しさがあります。求めすぎてはならず、卑屈になることも危険です。でも、どこかで、自分にあるものを人と分かち合うことを喜びとできたら何かが始まるように思います。それはお金かもしれないし、時間かもしれないし、技術かもしれないし、知恵かもしれません。いいえ、誰でも持っているものから始めるとしたら、あなたの笑顔から分かち合えたら良いのかもしれません。それ以上の贈り物はないかもしれませんよ。
求めることしか知らないって不幸です。分かち合うことからくる祝福を味わえたとき生きていてよかったと実感できることになり、愛を味わうことになるのです。
今日もお元気で。
祝福がありますように。