木を伐(き)ることで忙しすぎて、斧を研ぐ時間さえ見つけようとしない人は、忙しくしている割には効率が悪く、自分の働きに充足感を味わうことの少ない人だろうと思います。いろいろな「必要」に振り回されてしまい、自分自身の心を磨くことをしないといつの間にか、切れ味の悪い斧を振りかざして木を伐る作業をしているのと同じ心理状態に陥ります。
自分の精神状態も、仕事への意欲も、品性も、自らが意識して「研修」や「学習」や「静まりの時間」や「休息の時間」をしっかり確保することがないと、なかなか安定せず、成熟していかないものです。他人任せにしてはいけないものなのです。なまった斧を研ぐ時間、知恵を備える時間、そういう時間をあなたはどういう時に確保していますか?忙しいことを理由にしたり、怠惰になって面倒だから何もしないとあきらめたりしないように、気をつけたいものです。
こういう聖句の配信を楽しみにしていただくことも、斧を研ぐためのひとつの道具になるかもしれませんし、ちょっと、本を読むことも、外でお花を見ることも礼拝で説教を聴くことも、ちょっとだけ聖書の言葉を連続して読んでみることも気分転換にもなるし、心を磨く作業にもなります。斧は研がなければさびていきます。私たちは学ぶことや考えることをやめてしまうと、反応がにぶくなります。斧は砥石で研ぐわけですが、私たちの砥石は、何と言っても聖書であり、それによって、磨かれるのです。
少しずつでも聖書の教えを考える習慣をつけながら生きていきたいものです。まだまだ知らないことが山ほどあります。
祝福がありますように。