本物の牧師が語る聖書からのメッセージ!


それらよりもなお、わが子よ、心せよ。書物はいくら記してもきりがない。学びすぎれば体が疲れる。すべてに耳を傾けて得た結論。「神を畏れ、その戒めを守れ。」これこそ、人間のすべて。

コヘレトの言葉(伝道者の書)、12:12〜13

第843回「単純なこと」

ここにある言葉が、コヘレトの言葉の最終的な結論です。いくら学んでもきりがないし、学びすぎれば疲れてしまう。最終的に人間らしい生き方をするためには「神を畏れること」「戒めを守ること」を丁寧に実行しながら進むしかないのだとコヘレトは語ります。

神を畏れるというのは、神様を怖がるわけではなく、神様を礼拝するということと通じています。礼拝者としての成熟を目指しつつ生きるのです。戒めを守るという姿勢は「あれを守らなければ裁かれる」とか「これを破ったら見捨てられる」とか、そういう恐れの心から入ってしまうと「掟主義」に陥ります。私たちは神様の戒めを守り抜こうと思っても、実行不可能なのです。

だからこそ、キリストが来てくださいました。キリストの十字架は、「戒めを守りぬくことが出来ない私の、罪の裁きと不足分の罰金」のすべてを清算してくださるためのものでした。そこに「神様からの赦し」が宣告されているのです。赦されているという事実と喜びは、私たちの心が「神様が喜ぶことを喜び、神様が悲しむことを悲しみながら生きていきたい」という願いを育てます。「戒めを守る」ということが、義務感からではなく、喜びとして受け入れられるようになってきます。当たり前のこととしてうなずけるようになってきます。もちろん、守りきれないときもあります。でも、そこにもイエスキリストによる赦しが届いているのです。

礼拝者として賛美しながら生きること、神様の心を教えられながら、神様の喜びを喜びとして生きること、このふたつを「聖書のことば」と「礼拝のまじわり」を通して教えられながら生きていけるとすれば、豊かな人生を味わうことになりますね。コヘレトの言葉からの教えも、最終的には単純なところに落ち着きましたねえ。

神様からの祝福がありますように。

関根一夫

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