イエス様の話された有名なたとえの一部です。このふたつの話に共通しているのは「持ち物をすっかり売り払って、買う」ということです。私たちの人生において、持ち物をすべて売ってでも買うべき価値のあるものが存在するということ自体、重大な発見だと思います。イエス様は、ここでは、畑に隠された宝、高価な真珠にたとえていますが、「天の国」「神の国」の価値は、それらの宝にも似て、私たちが全精力を傾けて手にいれるべきものなのだと教えているのです。
神様からの保護、神様からの祝福、神様との交流、導き、助け、など神様とのきずなを深めながら人生を歩むことができる「関係」「きずな」は、全力を傾けて求めるべき宝なのです。真剣に求めるべき宝なのです。神様とのきずな、神様からの祝福は、私たちにとって、どれだけの「価値」なのでしょうか。いつのまにか、恵みにも祝福にも慣れてしまって結構安く値踏みしてしまっているかもしれませんね。慣れてしまうと、多くのことが、「当たり前」のことになり、感謝も感動もいつの間にか消えてしまうことがあります。そして、そういうときには「悔い改め」も「礼拝への熱意」も冷めてしまい、形式的な宗教活動に陥ってしまうことが多いのです。
大きな価値のある「神様とのきずな」「神様からの保護や支配の約束」がみことばを通してもたらされています。大切な宝として、受け取りたいものですね。
祝福がありますように。