イエス様に賞賛されている信仰姿勢がここにあります。この人はカナンの女性で、イスラエルの人ではありませんでした。イエス様が、ご自分の働きをイスラエルの人たちのものだと言うと、この病気の女性は懇願し、自分にはその祝福を受け取る資格もないけれど、でもご厚意でぜひお願いしまうと言うのです。「恵み」とは何かを知っているのです。
15:27 女は言った。「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちる
パン屑はいただくのです。」
「私には資格はないけれど」という意識は、選民思想で胸を張って、神様に祝福を求めていた、いいえ、神様を自分のしもべのように使っていた当時の宗教家と大いに違います。そこにイエス様の求めている信仰姿勢がありました。神様を利用したり、あごで使ったり、助けてもらって当たり前、奇跡を起こして当たり前という発想ではなく、小さな僕ですが、憐れんでください、という謙遜と感謝とを含んで神様に近づこうとする姿勢をイエス様は喜んでおられるのです。
恵みに慣れてしまうと、神様に対しても、人に対しても「なにかをやってくれて当たり前」という考えが育ってしまいますね。気をつけたいものです。
祝福がありますように。