本物の牧師が語る聖書からのメッセージ!

それから、群衆を弟子たちと共に呼び寄せて言われた。「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。

マルコによる福音書、8:34〜35

第879回「丁寧に生きる」

イエス様に従って歩む道の困難が教えられています。その道は、自分を捨て、自分の自我に対して否というような決断の日々であり、十字架としてしか考えられないような苦難や困難、恥などを背負いつつイエス様をあてにして生きること。格好がよいとか、悪いとか、人生楽ができるとか、できないとか、そういうことは関係なく、与えられた道として淡々と福音を自分の糧とし、自分の分かち合うべき喜びとしながら生きること。人を生かすことを自分の心としながら生きること。

そんなことを考えていると、ため息しか出てこないような気分になりそうですが、新約聖書でのイエス様の描写の中に、一度も「笑った」という言葉が出てこないほど、緊迫した厳しい、いのちがけの生活を強いられた、イエス様とお弟子たちのことを思うといつもへらへら笑いながら、泣き言を言い、愚痴をこぼして、友達さえへこませながら、それでも生きていけている現状を「めぐみによって」生かされていると感じます。

やる気になるとか、ならないとかではなく、召されていることを心から感謝し、今日を丁寧に生きるだけなんだなあと思います。今朝もみことばを感謝しています。

祝福がありますように。

関根一夫

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