本物の牧師が語る聖書からのメッセージ!

一行はカファルナウムに来た。家に着いてから、イエスは弟子たちに、「途中で何を議論していたのか」とお尋ねになった。彼らは黙っていた。途中でだれがいちばん偉いかと議論し合っていたからである。イエスが座り、十二人を呼び寄せて言われた。「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい。」

マルコによる福音書、9:33〜35

第880回「縁の下の力持ち」

誰が一番偉いのかという議論は弟子たちの中では常に中心的な話題でした。人間は組織ができると、その中でこういう議論が尽きません。イエス様は、そのことを知っておられて、一番偉い人の定義を語られましたがそれは、私たちが普通考える尺度とずいぶん違っているように思います。「すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい」とイエス様はお語りになりました。

これは簡単なことのようで、実際には難しいことです。会場に誰もまだ来ていない時間に黙々と礼拝会場の準備をしている人たち、全体には名前も紹介されず、その奉仕も知られることはないかもしれませんが、淡々とそういう奉仕をしている人たちの姿を見ると、イエス様がお語りになった定義をそのまま生きている人かもしれないなあと感じます。

よく縁の下の力持ちという言葉がありますが、そういう人たちへの賞賛の言葉でもあると思いますね。人からの評価を一番最後だとしても、それを了解できる人、人を牛耳るのではなく、むしろ、その人にとっての最善を考えることができる人、どんどん私の姿から遠くなりますが、でも、イエス様の教えておられる「神様に喜ばれる人」の定義です。

何となく、目立つことが良いこととされ、人の前で何かをすることが奉仕の大小の基準のような風潮がある中で、ひっそりと、静かに、人に奉仕することの大切さをイエス様は教えておられるのです。人に仕えるという言葉は、その人の祝福を考えてその人に奉仕をするという意味合いが含まれていますので、相手を憎んでしまったら奉仕そのものが不可能になります。相手の祝福を祈れる者でありたいなあと心から思います。

祝福がありますように。

関根一夫

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