本物の牧師が語る聖書からのメッセージ!

それから、一行はエルサレムに来た。イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いしていた人々を追い出し始め、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けをひっくり返された。また、境内を通って物を運ぶこともお許しにならなかった。そして、人々に教えて言われた。「こう書いてあるではないか。『わたしの家は、すべての国の人の祈りの家と呼ばれるべきである。』ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にしてしまった。」祭司長たちや律法学者たちはこれを聞いて、イエスをどのようにして殺そうかと謀った。群衆が皆その教えに打たれていたので、彼らはイエスを恐れたからである。

マルコによる福音書、11:15〜18

第882回「わたしの家」

神殿の中に、異邦人の庭と呼ばれる外庭があり、ユダヤ人以外の巡礼者はそこで手数料を払って両替をし、宮に税金を納めました。さらには、そこでいけにえの鳩を買わなければなりませんでしたが、その値段は町での値段の数倍だったとも言われています。しかも、その外庭をユダヤ人たちは、異邦人にとって大切な礼拝の場所と理解せず、たんなる通り道として使っていました。ですから、本来礼拝するための場所でありながら両替人や商売人の声に邪魔され、場所も脅かされ、そのうえ、ユダヤ人たちが通行していますから落ち着くこともできず、「礼拝の場所」としての利用が難しくなっていました。

イエス様が憤りを覚え、暴力的にさえならざるを得なかった根拠はそこにありました。商売や通行で異邦人の礼拝を著しく妨げていたからです。しかもそれを宗教家たちが見てみぬ振りをしていたのです。「すべての国の人の祈りの家」それが神殿のそもそもの存在意義でした。イエス様は神殿を「わたしの家」と呼びました。

礼拝が妨げられることをイエス様は憤りました。その心を私たちはしっかり覚えておくべきなのだと思います。イエス様は、礼拝者を求めておられます。礼拝が妨げられることに心を痛めておられます。私たちの逃げ場は、「礼拝」にあるのです。そこに心の回復があるのです。

祝福がありますように。

関根一夫

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