イエス様の十字架の出来事を一部始終見ていたローマの兵隊の長が、「イエス様こそ神の子」だったと告白しています。弟子たちの多くは逃げていってしまいました。ユダヤの人々、宗教学者、律法学者たちには、その十字架はイエス様への怒りと憤りと反抗のシンボルでしかありませんでした。自分たちの思い通りに事が動いたわけです。
彼らは、そのすべての背後に神様の計画や介入があったことなど全く理解していませんでした。宗教家たちにとっては、十字架は自分たちにとって目障りな人物を見せしめのように殺して、邪魔者を抹殺するための出来事でしかありませんでした。しかし、神様はその十字架を、私たちの罪を赦すための場所とし、イエス様を私たちの身代わりとして裁き、呪い、贖いの場所にしてくださいました。
ローマの百人隊長はそれをしっかり見たのです。そして、当時人数にも入れられていなかった女性たちも、イエス様の十字架の一部始終を見ていたと書いてありますが、それは興味があって見ていたというより、神様がイエス様を通して何をなさったのかを見た証人の役目を果たしているのです。本来は弟子たちの役目を、異邦人であるローマの兵隊と、当時の社会ではまったく評価されていなかった婦人達が担ったのです。
神様は偉大な真実を、異邦人にも女性たちにも見せてくださっているのです。真実は、特定の宗教家や特定の人種にのみ託された特権ではないのです。うれしいことです。
祝福がありますように。