本物の牧師が語る聖書からのメッセージ!

そこで、マリアは言った。「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう、力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。その御名は尊く、その憐れみは代々に限りなく、主を畏れる者に及びます。主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます。その僕イスラエルを受け入れて、憐れみをお忘れになりません、わたしたちの先祖におっしゃったとおり、アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」

ルカによる福音書、1:46〜55

第888回「どんな方?」

今日からルカによる福音書を読んでいきます。自分がイエスキリストの母となることがわかり、驚きながらもマリアはその状況を受け入れます。そしてバプテスマのヨハネの母となる親戚のエリザベトを訪問し、彼女からの祝福の言葉を聞いたとき、マリアは賛歌を歌います。

それが今朝の言葉です。神様への感謝と礼拝の心がいっぱいの詩です。それに、どこから教えられたのかわかりませんが、神様の属性というか神様についての深い洞察力があふれています。マリアが信じている神様はこういうお方だということがわかるのです。「身分の低いものにも憐れみを忘れないお方」「力ある方」「尊いお方」
「憐れみ深いお方」「高慢な者を嫌うお方」「歴史を作るお方」「必要を満たされるお方」「約束を守られるお方」などなどです。

私たちが神様を礼拝するとき、そこに思い描く「神様」とはどういうお方でしょうか?マリアが信じている神様と同じお方を私たちは礼拝し、同じ神様から心を取り扱っていただいているのです。私たちが「神様」と祈るとき、また歌うとき、マリアが信じている神様を一緒に思い出したいものですね。

祝福がありますように。

関根一夫

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