クリスマスのシーズンには何度となく耳にする箇所です。「大きな喜び」と表現されているニュースが羊飼いたちに届けられました。救い主の誕生に関するニュースです。しかし、どうして羊飼いたちにまずこのニュースが届いたのでしょうね?彼らは当時社会的な地位としてはとても低く、ものをよく盗むという評判もあり、決して尊敬されている仕事でもありませんでした。ただはっきりしているのは、旧約聖書のエゼキエル書にこういう預言があるのです。
34:11 まことに、主なる神はこう言われる。見よ、わたしは自ら自分の群れを探し出し、彼らの世話をする。
34:12 牧者が、自分の羊がちりぢりになっているときに、その群れを探すように、
わたしは自分の羊を探す。わたしは雲と密雲の日に散らされた群れを、すべての場所から救い出す。
34:13 わたしは彼らを諸国の民の中から連れ出し、諸国から集めて彼らの土地に導く。わたしはイスラエルの山々、谷間、また居住地で彼らを養う。
34:14 わたしは良い牧草地で彼らを養う。イスラエルの高い山々は彼らの牧場となる。彼らはイスラエルの山々で憩い、良い牧場と肥沃な牧草地で養われる。
34:15 わたしがわたしの群れを養い、憩わせる、と主なる神は言われる。
34:16 わたしは失われたものを尋ね求め、追われたものを連れ戻し、傷ついたものを包み、弱ったものを強くする。しかし、肥えたものと強いものを滅ぼす。わたしは公平をもって彼らを養う。
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34:23 わたしは彼らのために一人の牧者を起こし、彼らを牧させる。それは、わが僕ダビデである。彼は彼らを養い、その牧者となる。
救い主の到来の預言ですが、「良い羊飼い」としてやってくるという約束です。神様自らが、「良い羊飼い」であるキリストをお遣わしになるという約束です。ですから、羊飼いたちにとっては、まるで同業者のような気分になれたかもしれません。もちろん、キリストは人々を守り導く「羊飼い」なのですが・・。ダビデという言葉は、王権をもった存在という意味で理解されています。
ですから、羊飼いへのキリスト到来告知は偶然ではありませんでした。でも、そのキリスト、救い主が「飼葉桶に寝かされている」というニュースを、私たちは信じることが出来るでしょうか?おそらく貧しい羊飼いたちでさえ、自分が生まれたとき飼葉桶に寝かされたという経験のある人はいなかっただろうと思うのですが。神様からの救い主が世に来たというニュースは重大な喜ばしい知らせですが、飼い葉おけに寝かされているおさなごが、その人だということは、信用するには「信仰」が必要ですね。そうなのです、キリストをうなずくことのためには信仰が必須なのです。単なる理性では、イエス様を信頼することができません。聖書は最初から「信仰」を求めているのです。でも、その夜、一緒について行きたかったなあと、ふと、思います。
祝福がありますように。