本物の牧師が語る聖書からのメッセージ!

イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった。預言者イザヤの巻物が渡され、お開きになると、次のように書いてある個所が目に留まった。「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。」

ルカによる福音書、4:16〜19

第891回「自覚」

ナザレの会堂での出来事です。イエス様は安息日に会堂に行き、イザヤ書の言葉を読んでから、「この言葉は、今日、実現しました」と語りました。つまり、私が来たので、これらの言葉はそのまま実現し、実行に移されますよという意味です。イエス様がご自分の使命として託されている内容がここに列記されています。

内容とは、貧しい人に福音が届けられ、不自由な人が解放され、病をもっている人が癒され、神様の恵みが届くというものです。イエス様が来てくださったのは、宗教的特権階級の人たちや、社会的な地位のある人や、特別に熱心に宗教に打ち込んでいる人のためというより、お金もなく、機会もなく、頼るすべをしらない貧しい人たち、弱い人たちのためなのだということがとてもはっきり書かれています。自分には、これがあるから大丈夫と安心してしまっている人には、なかなかイエス様の恵みの福音は届きません。というより、イエス様の恵みの福音など意味も価値もないと感じるほど、心が別のもので満腹してしまっている場合があります。

イエス様がまさに私のために来てくださったのだという自覚がもてますか?主よ、弱い私を憐れんでくださいといえる心が大事ですね。

祝福がありますように。

関根一夫

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