イエス様がエルサレムの宗教家たちや一般人に対して、どのような意識で教え、どういう態度で接していたのか、とてもはっきり書かれている言葉です。「めん鳥が雛を羽の下に集めるように」という言葉には「雛を守る親鳥」「雛のために捨て身で犠牲になる親鳥」「雛のために戦う親鳥」「雛のために死ぬつもりの親鳥」などの姿勢を連想できます。イエス様は、不信仰で不遜、高慢なエルサレムの宗教家たちに対してさえ、親鳥が雛を守るように来るべき裁きから守ろうとされたのです。
それでもエルサレムの人たちは、イエス様の愛を拒否したのです。それどころか、イエス様を十字架につけることに心を集中させてしまうのです。イエス様の嘆きの言葉が痛々しく心に響きます。神様が人間に対して一番望んでいない態度をエルサレムの人々はまさに取ろうとしています。神様のひとり子を拒否し、その愛を拒否し、教えを否定し十字架につけて殺そうとしているのです。罪に罪を加えているのです。
私に対しても同じように、めん鳥が雛を羽の下に集めるように保護を提供してくださっているイエス様に感謝をし、その羽の下で安心できる幸せをしっかり味わいたいものだと心から思います。聖歌にこういう詞がありますね。大好きな曲のひとつです。
いかに恐るべきことありとも、み翼の陰は安らかなり
愛の神はいかなる時にも、頼るなが身保護したまわん。
こういう歌詞を信仰告白として言葉にしながら、進むことができますように。
祝福を心から祈ります。