重い皮膚病をわずらっている10人がイエス様によって癒されました。それ自体、奇跡です。重い皮膚病になったことを、彼らは神様からの呪いと理解していただろうと思います。もしかしたら、自分を責め、親を責め、神様に怒りを感じるような、絶望的な気持ちになっていたに違いありません。大声でイエス様に憐れみを懇願しながら、最後の望みを託します。イエス様は彼らの願いに耳を傾け、祭司のところに行くように命じました。祭司の仕事のひとつは、病人が社会に戻ってよいのかどうか検証するというのがありましたので、この人たちにとっては、心が躍るような命令でした。
しかし、10人のうち、自分が癒されたことを感謝し、イエス様のところに戻ってきて感謝を表明したのは、サマリアの人、ひとりだけでした。私たちは、思いのほか、神様に感謝することを忘れがちです。感謝を賛美という形で表明しようと思っても、そのことだけに心が向かうかというと賛美しながらも、いろいろ別のことを考えたり、心が神様への感謝に集中していないことがあります。
心を定めて、神様をしっかり意識し、そのお方に向かって、心から歌う、祈る時私たちの心は、神様への感謝だけでなく、神様からの愛や慰め、希望で満ちてきます。感謝をささげ、礼拝するという姿勢は、神様との交わりを深める大きな、大切な第一歩なのです。恩知らずとか、食い逃げとか、そういう言葉でくくられる態度は、人に対しても、神様に対しても、感じさせたくないですよね。
祝福がありますように。