本物の牧師が語る聖書からのメッセージ!


イエスはエルサレムへ上る途中、サマリアとガリラヤの間を通られた。ある村に入ると、重い皮膚病を患っている十人の人が出迎え、遠くの方に立ち止まったまま、声を張り上げて、「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と言った。イエスは重い皮膚病を患っている人たちを見て、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われた。彼らは、そこへ行く途中で清くされた。その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった。そこで、イエスは言われた。「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。」それから、イエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」

ルカによる福音書、17:11〜19

第904回「恩知らず?

重い皮膚病をわずらっている10人がイエス様によって癒されました。それ自体、奇跡です。重い皮膚病になったことを、彼らは神様からの呪いと理解していただろうと思います。もしかしたら、自分を責め、親を責め、神様に怒りを感じるような、絶望的な気持ちになっていたに違いありません。大声でイエス様に憐れみを懇願しながら、最後の望みを託します。イエス様は彼らの願いに耳を傾け、祭司のところに行くように命じました。祭司の仕事のひとつは、病人が社会に戻ってよいのかどうか検証するというのがありましたので、この人たちにとっては、心が躍るような命令でした。

しかし、10人のうち、自分が癒されたことを感謝し、イエス様のところに戻ってきて感謝を表明したのは、サマリアの人、ひとりだけでした。私たちは、思いのほか、神様に感謝することを忘れがちです。感謝を賛美という形で表明しようと思っても、そのことだけに心が向かうかというと賛美しながらも、いろいろ別のことを考えたり、心が神様への感謝に集中していないことがあります。

心を定めて、神様をしっかり意識し、そのお方に向かって、心から歌う、祈る時私たちの心は、神様への感謝だけでなく、神様からの愛や慰め、希望で満ちてきます。感謝をささげ、礼拝するという姿勢は、神様との交わりを深める大きな、大切な第一歩なのです。恩知らずとか、食い逃げとか、そういう言葉でくくられる態度は、人に対しても、神様に対しても、感じさせたくないですよね。

祝福がありますように。

関根一夫

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