紀元前20年にヘロデ王が建築を始めたエルサレムの神殿は工事を始めてから80年以上たった紀元64年に完成しますが、その神殿は紀元70年8月にローマ帝国との戦いの末、一日で崩壊します。平和への道を知らず、神の訪れの時をわきまえなかったからというのが、イエス様が確信している崩壊の理由です。
神の都、エルサレム 主イエスは涙を流し、
かたくなな人の心を嘆き悲しむ、
今もなお、そこに戦いがある
まるで私の心の出来事のように
平和と愛とをもたらしたまえ、
平和と愛とを私の心に
(関根一夫詞)
どこにでも、「平和への道」は必ずあると思いますし、「神様の訪れのとき」、すなわち悔い改めるべき時というのがあるのです。
神様との平和を求めず、イエス様を殺そうとしているエルサレム、「神の国は近づいた、悔い改めて福音を信じなさい」という呼びかけを全く無視して自分の伝統に固執し、選民意識に固まってしまって、神様の喜ぶことをせず、神様の心が何なのか見えなくなってしまっているエルサレムの宗教指導者たち、彼らの行く末は崩壊しかありませんでした。しかし、イエス様は、それを前もってご存知であり、その人々たちのために「泣かれました」。イエス様の心には「ざまを見ろ」という思いは皆無なのです。赦しの心、愛の心は、つねに悔い改める人たちのほうに向いているのです。泣いてくださるイエス様こそ、私たちの心の重荷や高慢や罪の痛みを知っていてくださるお方です。そのお方に信頼し、そのお方の促しに従うこと、それこそが平和の道へのステップであり、神様のおとずれの時となる大切な瞬間なのです。
今日も神様からの祝福がありますように。