クリエイティブの現場

今回の作品はこれ!

鈴木雪夫
「Feel The Spirit+2」

芸は身を助すくという言葉がありますが、この人を見ているとなんだかそんな感じです。

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大変長らくお待たせしました。今日から鈴木雪夫さんの登場です。なにしろこの人は日本で一番低い声が出る人なんです。そんな人、回りにいないでしょ。私も始めて会いましたよ。なんにつけても日本一なんて人に。
「Feel The Spirit+2」というCDをリリースして、精力的な音楽活動を展開しているのですが、今回お忙しい間を縫ってお話を聞くことができました。
まずは、鈴木さんが育ってきた音楽的な環境などのお話です。では、楽しんでいって下さい!

編 集 鈴木雪夫さんと言えば今では低音が魅力なんですけど、やっぱり小さい頃に音楽と慣れ親しんだというか音楽に興味をもった時期があるんですよね。
鈴 木 うん。
編 集 それは低音とか、声のこととか関係なく。
鈴 木 うん、そうでしょうね。
編 集 音楽的にはどういう環境だったんですか。
鈴 木 音楽的にはねえ。山形の田舎だからねえ。
編 集 ザ・ピーナツとか?
鈴 木 うん、そういうのは好きでしたよね。歌謡曲は好きでしたね。
ただ、いまでも憶えてんですけどね、あれはいくつくらいだったかなあ、僕が小学校6年生くらいだったかなあ…、プラターズを聞きに行ってんですよね。
編 集 山形で?
鈴 木 うん!
編 集 えー!フラターズかなんかだったんじゃないですか。
鈴 木 プラターズっ!オリジナルですよ、今でも憶えてる。 だからきっと好きだったんだろうね、そういうの。
編 集 それはお父さんと一緒に?
鈴 木 いや、一人で
編 集 えっ?いくつ?
鈴 木 小学校6年。
編 集 うっそでしょー、そんな小学生いませんよ。プラターズが来るぞって?
鈴 木 ねえ。だからその前に、俺の中に情報があったんだろうね。
編 集 ですよね。
鈴 木 あの頃のコンサートは会館備え付けのスピーカーしか使えなかったわけだ。PAってなかったから。県民会館だったけど、会館のスピーカーを使ってやってた。
で、バスのハーバードリードって、まあ後になって僕は名前を知ったんだけど、彼の声でスピーカーが全部割れきってるわけ。
編 集 はっ、はっ、はっ、はっ!それはバンドも付いてるんですよね。
鈴 木 バンドも付いてる。それで一人日本人のMCが付いて。 …っていうのを聞いてんだよね。なんであれを聞いたのか、今でも不思議なんだけど。
MG5って昔コマーシャルあったじゃない。エームジーファーイブっていう(注:歌ってます)。 あれ、デュークなんだよ。デュークの槇野さん。俺子供の頃聞いて、すげー低い声の人がいるなあって思ったんだよ。だから「声」に対して興味があったんでしょうね。CMなんかでも聞こえてくる「声」。
編 集 あーん。
鈴 木 よく考えるとませたガキですよ。プラターズの曲とか聞いてたんだもん、オンリーユーとかね。 あと兄貴も好きでね。引き潮とかユーネバーノウとかね。
編 集 お兄さんもハイカラなお兄さんですよね。
鈴 木 そう、そう、そう、そう。よく考えたらそうだな。兄貴が聞いてたドーナツ盤。
それが、僕にとって影響あったのかも知れない。
編 集 でもコンサートはお兄さんと一緒じゃなくて。
鈴 木 うん、僕一人で行ったのを憶えてますよ。
なんでこんなにジャリジャリって音がするんだろうって思った、会館のスピーカーがさ!
この前プラターズのオリジナル録音ってのを見つけて買ってきたら、もうとんでもない声だね。でもめったにないんだよね、オリジナルは。
編 集 はっはー、そうですか
鈴 木 あれはやっぱり県民会館のスピーカーじゃ、再生しきれないね。自分で低い声出してる感覚がないんだもん。出した声がもう低い、それしかない。
で、それ前後の時期ですね、なんであんなもん聞いてたんだろう、パットブーンとか、あの頃のロックンロールのポールアンカとかニールセダカとかいうのは中学校のころよく聞いてましたよ。よくリクエストしたりしてね。
編 集 あー、うん、うん。
鈴 木 ませたガキだったなあ。多分小学校の頃から聞いてたってことですよね。ステレオってのが無い時代だったから、まだ。
編 集 なかったでしたっけ。
鈴 木 なかったです。
小学校の時僕あの頃、あの頃って、なんか昔話しになっちゃうけどさ、プレイヤーをラジオにつないでやる時代ですよ。
ステレオってビクターのハイファイ、電蓄のでっかいやつね。それがステレオになったのはその頃の同じ時代なんだけど、普通 のラジオにつないでプレイヤーを動かす。
1台しかない場合には片方しか聞こえない。だから2台あるとステレオになるという。
編 集 でも音源はステレオだったんですか。
鈴 木 ステレオになってきてたんだね。その頃やっとステレオになって。
僕の頃は78(回転)ですよ。小学校に入る前は、78の電蓄で聞いてましたから。 (注:レコード盤といわれるものの話です) 小鹿のバンビとか(笑い)。
編 集 (笑い)
鈴 木 好きだったみたい、僕。
小学校入る前から低学年の頃に、おばさんの家とか行って、持ってたSP盤「かけてくれ、かけてくれ。」って言ってねだってましたね。
編 集 それって、竹の針じゃないでしょうね。
鈴 木 鉄針でした。鉄!鉄針でした。でも、78回転ね。SP盤ですね、まぎれもなく。
家にはなかったんですよ、電蓄。家で最初に買った時に、ポータブルのラジオに繋ぐ、なんだあれは、プレイヤーですね。今で言うプレイヤー。
そしてそれをどうしてもステレオで聞きたくてさ。
イヤホーンにつないだらステレオになるんじゃないかと思って、昔のラジオ聞くような普通 のイヤホーンね、あれに繋いでやってみたら頭の中でステレオになった時は大感激したね。 あー!ステレオってこういうんだ!
編 集 へ〜え。ジャックは一つなんでしょ。
鈴 木 右のラジオのためのジャックと、左のラジオのためのジャックと2本出てるわけ。
だから普通の線をさ、つないで、ラジオはPHONOの状態にまわす。
何を聞いたのかなあ。クラシックでしたね。好きだったみたい、やっぱり。
クラシックから始まってね。 それで小学校の3年生の時の担任が音楽の先生だったから、よくレコードを聞かせてくれたっていうのが大きかったですね。
普通音楽の先生って担任持たないんだけど、たまたま音楽の先生が担任で、よく電蓄で曲を聞かせてくれて、「ああ音楽っていいなあ」って思ったのが最初ですね。
 
…つづく
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