クリエイティブの現場

今回の作品はこれ!

鈴木雪夫
「Feel The Spirit+2」

芸は身を助すくという言葉がありますが、この人を見ているとなんだかそんな感じです。

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第1話では、幼少の頃の鈴木雪夫さんがどんな環境で音楽にふれていったかを、聞かせていただきました。小学校6年生の時、ひとりでプラターズのコンサートに行った話には驚きました。今日の話しは中学生くらいの頃のお話です。

編 集 で、プラターズは他のいろんなものよりかは、やっぱり好きだったんですか。
鈴 木 好きだったみたい。
編 集 ふ〜ん。渋すぎですよ、それ。
鈴 木 これはもう自分でも不思議ですよ。
そんなこと言っても意外と理解してもらえないんだよ。 40年前だからね。
オリジナルですよ、オリジナルプラターズね。
あれを俺はなんで県民会館で聞いたのかってのが、自分でもよくわからない。
編 集 自分でお金ためてレコード買ったりもしてたんですか。
鈴 木 しました。どちらかというとクラシックの方が多かったですね。
フォンタナっていうクラシックの、8曲くらい入った、何センチだろう、
LPじゃないやつ。
編 集 あーあ、ありましたねえ。
鈴 木 あれでシリーズものが出てて。
そういうのを全部ためて、今も持ってますね。
1週間分っていう世界の名曲が入ってるやつをね。よく買ったなあって思う。 好きだったんだよ。 それが中学校の頃かなあ。
中学では兄がブラスバンド入ったんで、僕も迷わずブラスバンドに入ったもんね。
編 集 お兄さんとはどんくらい離れてるんですか。
鈴 木 四つです。
編 集 じゃあ入った時はもういなかった。
鈴 木 そうそう、兄貴とは違う中学校だったんですよ。
彼は山形の方で、僕はもっと田舎の寒河江という所。
そこの中学校にはブラスバンドがなかったわけ。
初めてつくるということになって「あ、俺もやろっ」って。 だから初代ですよ。 そこでクラリネットをやり始めた。
今でこそ言うけど、人よりかはるかに上手くなるんだよね。
編 集 (笑い)、才能ですか。
鈴 木 俺、なんでこんなに上手くなるんだろうと思ってさ。
俺ひとりだけ、1年生でメンバーに入って吹いてたからね。
なんで俺、こんなに吹けるようになるのかなあって(笑い)。
音楽活動としてはとしては、それがきっかけですね。
歌は歌おうとは思わない。
そして中学校2年の時、声変わりをして、で、この声になっちゃったの。
編 集 それまではかわいい声してた?
鈴 木 そう、普通に。普通 の声、…だと思うんですけどね。
録音したことがないから分かんないんですけど。
そしたら音楽の合唱部の先生だったかな、とってもコンクールに熱心な先生がいて、その先生が俺の声聞いて「一回来い!」ということになって、教室の授業が終わると窓の所にへばりついてさ。
僕はいっつも逃げて行くからさ。
編 集 合唱部?
鈴 木 合唱部!
可愛い娘、いたからさ。一回行ってみようと思ったんだけど…。
中学校だとどうしても混声3部になっちゃうじゃん。混声3部ってテノールなんだよね。 ソプラノ、アルト、テノール。だからバスっていう低いパートがないわけよ。
編 集 そんな低い声の人が中学生にいるとは思わないんでしょうね。
鈴 木 声変わりするか、しないかくらいの声だったけど、2回くらい行ってもう終わり。
「あっ、僕出ません。」ってね。
編 集 ああそうですか、出なかったんですか。
鈴 木 まったく出なかった。
編 集 じゃあ普通 の音楽の授業なんか大変じゃないですか。
鈴 木 大変ですよ。だから僕、いつも「2」ですよ。
歌のテストのあるときに。 で、笛になると「5」になる。
編 集 もう、教育の枠にはまんないんですね。
鈴 木 今考えるとそうですね。 オクターブ下で歌うと怒られるでしょ。
「中学生がオクターブ下で歌っちゃイカン」。
編 集 不良の歌い方だとか。
鈴 木 普通の音域で歌えって。でも全然出ない。
その後は高校3年生くらいまで歌を歌おうなんて気は全然なかった。
編 集 そうなんですかあ。随分長いですねえ。プラターズなんか歌ったりしなかったんですか。
鈴 木 プラターズなんてやれないでしょ。
編 集 ああ、そうか。シロウトが考えると逆に簡単に出来そうに思うけど。
鈴 木 いゃあ、まわりに好きな人がいて環境がありゃ出来るけど。
人がいないですよ。
友達のとこに行ってコニーフランシスとか聞かせてよって言うんだけど、あきれ顔だったもんね。 友達の家で聞いてんだよ。そういうロックンロールとかあの頃のはやり歌を持ってるってのはやっぱ金持ちだね。自分で電蓄持って。で、ドーナツ盤を何枚もそろえて。自分では出来ないけど「聞く」ってことは好きで、よく聞きましたね。
 
…つづく
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