クリエイティブの現場

今回の作品はこれ!

鈴木雪夫
「Feel The Spirit+2」

芸は身を助すくという言葉がありますが、この人を見ているとなんだかそんな感じです。

鈴木さんのプロフィールはこちら

中学生になってブラスバンド部に入った鈴木さん。音楽の才能はやっぱりあったようですね。 声変わりはしたものの、歌うことには興味なかったようですが、高校生になってから 「何か」があって、歌への興味が…。

編 集 それが高校3年生の時に何かきっかけがあって、歌を始めたんですか。
鈴 木 その高校は、山形県のちょうどど真ん中の寒河江って、
どうにもなんない田舎にあったんですよ。
高校の音楽の先生ってのは非常に変わった人で、
今でいう芸大出身なんですよね。
もともと松山の人だったんですけど、 愛媛の松山から山形にお婿さんで入ってきて、最初は山形で教えてた。その後酒田に行って、で、その後寒河江に移って来た。
「俺はなんでこんな所で、こんな音楽のわかんねえガキどもに教えなきゃいけないんだ。」って顔をずっとしてたんですよ。
ずっーとしてる人なわけ。
編 集 はーん。(笑い)
鈴 木 だから音楽って言ってもね、なーんにもやんないの!
ただ、ずぅーーとレコード聞かせてるだけ。
みんなカァーっと寝てんだけど。
編 集 (ヒクッ、ヒクッ--->笑い)
鈴 木 それも聞かせるのがね、「今日はベルディーのトラディアータ椿姫をずっと聞かせる。」(笑い!)
LP裏表でちょうど時間になっちゃうでしょ。
で、その間に対訳を読んでるわけよ。
編 集 あっ、は、は、は、はっ!
鈴 木 「俺はお前が離れていくのが淋しい。」って読んでる!で、だっれも聞いてないの!
編 集 女子も全然興味なし?
鈴 木 うん。
それで、とどのつまり、ムソルグスキーのボリスゴドノフという、どおー考えても聞けないオペラがあるわけよ。
ムソルグスキーの最大傑作ですね。
だけど、どっこにもアリアなんかない。ただ、裏切られたボリスゴドノフというロシアの王が、永遠と淡々と歌っていく、むつかしいオペラなんだよ。それを、聞かせんのよ!
編 集 (ヒクッ、ヒクッ)
鈴 木 「こんなにすごいオペラはないんだ。」って。
シャリアピンって昔のバスの人のために書かれたオペラなんだけど、そんなの田舎の子供が分かるわけないでしょ。
でも「何か残るだろう」って彼はずっと聞かせたと思うんだよね。
そして音楽のテストになったら、「お前の好きな歌、なんでもいい。なっんでもいいから、好きな歌うたえ。」って。
一曲やれというのが彼のテストで、
だから3年間一度もチョーク握らない。
それで僕は2年生の時、「お前の好きな音程でいいから。」って言うんで歌ったんだよ。
そしたらそん時の同級生に音楽の分かる男がいて、その彼に先生が「ちょっと鈴木を連れてこい。」ということになって。
それで、2年生の後半で音楽部に行ってみたら、「あれ、コーラスって面 白いんだなあ」って始めて思った。
その時、俺ブラスバンドの指揮者してたからどう考えたってブラスバンドを抜けられないんだよ。それで担当の先生に相談しに行ったら「もしかしたらお前の将来に関わることかも知れないから、ブラスバンドやめていい。」ということになった。
編 集 ・・・笑い。
鈴 木 で、僕は卒業式の時に、ブラスバンドの指揮しながら
喧嘩してたんだよね。
喧嘩して、最後終わってそのあとコーラス部に入ったんだ。
で、さっき言った同級生が懸命になって先生にアプローチしたらね、
やっと音楽を教えてくれるようになったわけ。
それまでは「おまえらに音楽なんてわかんないんだよ。」っていう態度をとってた先生が始めて「じゃあ、教えてやろう。」と言って教えてくれたのがきっかけですね、一番最初の。
そしてそれから声を出すようになったね。
編 集 ふ〜ん。
鈴 木 そこでやっとプラターズが少しくっついてくるわけよね。
編 集 へえー。その頃はクラシックの歌を歌ってたんですか。
鈴 木 合唱曲ですよね。
編 集 それが黒人霊歌に結びついて行ったのは?
鈴 木 それは大学に入って。
大学はミッションスクールで、入ったらそこにコーラスやりたいってのがいたんですね。
カルテットやりたいってのがいた。
今のようにハイトーンじゃなくて、オーソドックスなカルテットだから僕の声がないとカルテット、出来ない。
男性4人でコーラスやってみたいねってとこに僕が現れたわけだ。
それで学生時代にカルテットやり始めたのが、黒人霊歌との最初の出会い。
 
…つづく
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