ものごとには
タイミングというものがある
と人は言う。
だからといって、
なんでもタイミングだけで
すます訳にもいかない・・。
そして、大切な事は
タイミングよりも
気持ち一つで伝えるべきものだと
私は思う。
それがそのタイミング。
悪い時もあるものさ・・・。
その人から連絡がなければ伝えない、
のではなくて、
大切な事は
やっぱりその人のタイミングとして
伝えて行きたい。
そう、
いつも私は気まま、
いや、感情の赴くまま。
だから喜怒哀楽は激しく、
楽しいときもあれば
落ち込みまくりのときもある。
でも・・・・・・・、
伝えたい事は
やっぱり
「その時そう思ったから」
と伝えていきたい。
このキモチのタイミングを逃して、
大事な事に気づかないと、
後できっと・・・、
悲しい思いをするに違いない。
気付いた時は遅かったでは、
人と人は分かり合えない。
永遠に・・。
私にも偶然のタイミングで
ある日それは突然やってきた。
それは、 12月のとある夜、
鍵っ子だった小学生の私は
一人家で留守番をしていた。
すると、
パチ、パチ、ミシッ、ミシッ
というなんともいえない、
それこそ、
空気の乾燥のような
割り箸を割っている様な
音がしだした。
一人きりの夜の留守番は
いつも怖いのに、
この音の登場で、
この日の私は
ホラー映画のワンシーンの様になっていった。
コタツにもぐり、
TVのボリュームを上げる。
聞こえない振り攻撃をしてみる。
すると、
音はTVに対抗するかのように
ボリュームを上げていき、
しまいには、
TVのボリュームを最大にするという
あまりない様な
大音量にも勝る音を発し出した。
そしてその音は、
2階の床から
「ミシッミシッ」という、
まるで誰かが歩いているような
音になった。
よくよく怖くなった私は、
母に電話した。
受話器を音の方へ向けて
「聞こえる?聞こえる?」
と母に問うが、
あんなに大きな音でさえ、
母には聞こえていなかった様だ・・・。
電話を切ってコタツにもぐっていると、
音はしばらくして止み、
間もなく母が帰ってきた。
母は青い顔をして、
一言だけ言った。
「今日、命日だったのに、
お墓参り行くの忘れたの・・。
今まで忘れた事一度もなかったのに・・。」
母は、霊現象などを
信じる人ではなかったが、
帰るなりそう私に言った。
音の原因は謎のまま。
母と2階を見に行ったが
モチロン何もなし。
霊現象、
よく言われる「ラップ現象」
というやつなのかどうか?
そのせいなのかどうかは解らない。
でも、2階の誰かが
歩いて居たような音がした部分には、
仏壇があった事は
偶然じゃない気がした。
それからは、命日の前には
必ずお墓参りの催促を
母にする事にしている。
それから一度もその様な出来事はない。
それに似た出来事を
葬儀屋さんに居た頃に
何度か聞いた事がある。
おばあちゃんが亡くなった時の葬儀の日に、
幼い孫娘が
「今日、おばあちゃん会いに来てたね。
そこに座ってたね」と、言って
皆がビックリした話。
お寺の住職さんが
近所の池の側を歩いていたら、
子供の足音や肩を何度も叩かれて
気味が悪かったこと、
そしてその池では
数日前に母子の入水自殺があったという話・・・。
そして、お通夜の晩に
娘さんが帰った後、
親族が2階で食事をしていると、
『バタン』という大きな音がして
1階の祭段のところへ行ってみると、
そこには勿論誰もいなくて、
亡くなったお父さんの遺影だけが、
遺影の下に置いてあったものには
一切触れないという
不可思議な落ち方をしていて、
その遺影の下にあったお供えの水が、
お位牌に跳ねて、
まるで涙の様に見えたという話。
ただの偶然にしては
難しい落ち方であった事、
何千件と葬儀をした中で、
固定してあった写真が
落ちるわけがないという事実・・・。
かと言って
それが、娘さんへのメッセージだったのか?
娘さんに居て欲しかったのか、
葬儀なんて質素でいいと
倹約した娘さんに怒っていたのかは、
誰にもわからない。
でも時として、
こういう摩訶不思議な出来事は稀にある。
現にこうして私もその体験者の一人だ。
こういう現象を信じる信じないは、
もしかしたら経験したかしないか?
なのかもしれない。
亡くなった人は、
生きている人に対して
助けたりは出来ないと聞いた。
でもきっと、
あまりも納得できない事があったり、
伝えたい思いが残ると、
気付いて欲しくて、
側に来るの、
いや、居るのかもしれない。
「ゴースト」という映画があったけど、
あんな風にきっと私も、
愛する人を残して死んでしまったら、
その人が心配で
くっついているかもしれないな ・・・。
愛する人より
後に死ななきゃと思う。
じゃないと
オチオチ死んでもゆっくり出来ないし・・・。
精神的に非常に疲れたり、
弱気が強くなると
あの世からお迎えがやってきてしまう。
だから日々頑張らなくちゃいけないのだ。
「病は気から」というのは本当だし。
生きている間に、
愛する人に
チャンとしておかないと、
「気付いて欲しいのー、
私はここに居るわー、
ねえねえ〜」
なんてあなたのもとに
来るかもしれません・・・、
いや今も居るかもしれません・・・。
こんな風な事が起きた時は、
きっともしかしたら、
何かを
きっと伝えたいのかもしれない。
それはその人の気持ちのタイミングで、
あなたになにかを伝えたいからなのだ。
気付いて欲しい、
気付いてくれた?
と。。。。
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