そのときのはなし

人はここぞという場面に遭遇すると他人からみたらものすごい滑稽な行動をとっている事が多い。だからドラマなんかでよく見るようなシリアスなシーンは本当はあまりないのがホントのところ。悲しい時でも必死だと、不思議な奇怪な行動をとっていることもある。 それはそこからの逃避なのかもしれないし、受け止めきれないのかもしれない。そんな人の滑稽な様を演じられるようになりたいとおもいつつ・・・。
第八話「最後はお願い」

「右から1、2 邪魔!!はけて(退いて)!」
エキストラばっかりの仕事をやっていた頃、
私はそれが嫌でたまらなかった。
人は大道具じゃありません。

でも、役者にはこういう経験してる人は
結構多いのじゃないだろうか?

この役はあなたじゃないと
代わりは誰にも出来ません。
そういっていても、
実際には余程の人じゃなきゃ
断れば別の誰かが
そこに入るものである。

けれど、そういわれるかどうかって
かなり大きく違う気もする。

誰でもいいじゃやる気になれない。
「誰でもいい」から
「私じゃなくちゃ」に変えなくちゃ。


「役」というのも
役者における役だけじゃない。

誰かに何かを頼まれた時に、
「あなたにしかお願いできない」
といわれるのと
「なんとなく丁度良かったからお願いされる」
のどちらがいいですか?

そんな日常におけるお願い・依頼
そんな諸々があるもんです。

そんな事を考えつつ・・。

「私が死んだらお願い出来ますか?」
入ってきたお婆さんは
突然そう言い
返事を待っていた。

自分の葬儀にいくらかかるか?
と聞きに来る方は結構多い。
子供達に迷惑をかけたくないとか、
自分の葬儀費用は
自分で用意しておきたいからと ・・。

でも、このお婆さんは違っていた。

お婆さんというには
ちょっと失礼な位のその方は、
その後こう続けた。

「私には身寄りがありません。
遠くに姪っ子が居るけど付き合いもないし、
こちらの葬儀社さんに
私の死後の面倒を全部をお願いしたいんです。
お金を預けます から」と。

これから増えていくであろう一人身の最期・・・。
でも、たいがい兄弟や親戚なんかが居て、
結構なんとかなるもんなのである。

それでもこの人の意思は固かった。
姪っ子さんにお願いしてみては?
と勧めてもダメだった。
初めて会うのに、
自分が死んだら葬式をだして
納骨してくれればそれでいいという。

そこまでのいろいろな必要な手続きは
全部やっておきますから、と。

もしも、悪徳葬儀社だったりしたら?
と、心配じゃないのだろうか?
全くの見ず知らずの会社に、
自分では確認する事の出来ない最後の一切を任せるのだ。
信頼してなきゃ私なら到底心配で出来ないこと。

お金がない訳でもなかった。
でも、遠くの親族よりも
近くの他人にお願いした方が
よ かったのだろうか・・・?

それでも話がまとまると、
安心した表情になっていった。

何かの最後に
頼りにして貰うのってちょっと嬉しい。
何か困った事や
誰かに協力して欲しいと思ったときに
自分を思い出して貰えるってありがたい。
役者でもそう。
そのときに思い出して貰える様にならないと。

日常生活で言ってもそうだ。
いろいろ人を思い浮かべてみるけれど、
やっぱり頼めるかどうかって、
実は信頼がおけるかどうかって事も
勿論含む訳で・ ・。

そして相手が快く受けてくれたときには、
想像以上の事が出来たりするものだ。
その秘訣は、信頼かなあ。やっぱり・・・。

このお婆さんも
手続きが終わって久しぶりに現れた時は、
なんだか明るくなって元気になっていたっけ。
ずっと悩んでいた心配の種がなくなって
ホッとしたらしい。

いつまでもクヨクヨ一人で悩むよりも、
誰かに相談してみる方がいい。
勿論、最後に頼りに出来る人に。


小さな事をお願いできる人 
〜 ここぞという時に頼りになる人は
違うのかもしれない。

私には頼りになる人が居るかと考える。
でも、それって本当は、
自分が頼りにされなきゃ有り得ない事なのかも・・・。

いつも自分勝手な事ばっかりしてて、
実際今自分が死んだら
誰が最後の面倒見てくれ る?

「誰かがやってくれる」

そう他人事のように、
当たり前に思っているのじゃないだろうか?

なんでも困難をスルスルっと
一人の力ですり抜けて来たと
勘違いしてはいないだろう か?
いつだって、誰かが力を貸してくれて、
一人っきりで何かが出来た事はきっとない。

けれど、案外いつも決まっているものじゃない?
ここぞという時頼りにする人やもの。
悪い事じゃなくて、
それに気付いたらたまには、
「そっかー」ってそれを大事にしようって思う。

最後にお願いされるより、
一番に言われたほうが気分がよくても、
そんな小さな事は言わないで、
「いいよ。私に任せて。」
そう言ってその自分を頼ってきた人の思いに
答えたい。

またいつもの大河ドラマの話になるけれど、
「利家とまつ」で
いつも奥さんのまつは
利家や周りの人に頼りにされた時、
「私にお任せくださりませ」
と言っていたっけ。

でも私のほうも、
頼られたら全部やるわけじゃないので、
信頼出来る人に限ります。

だから借金とか
無理な依頼は
勿論出来ませんけどね。

お婆さんには
長生きして欲しいと思った。
最後の心配はしなくていいから、
思う存分楽しい日々を過ごして欲しいと。

「最後のお願い」
「一生のお願い」
なんて
小さい頃オネダリや我侭言ったなあ・・ ・。

それとこれとのお願いのレベルが違うけど
、聞いてくれた時は
嬉しかったもんだ。

最後に頼りにされる事は悪い気はしない。
でも、出来れば最後だけじゃなくて、
楽しい時を沢山共有したいと思う。

「私が死んだらあとはお願い」

そんな究極のお願い事は
出来れば聞きたくないもんだ。
悲しいお願いじゃなくて、
楽しいお願いを一緒に解決出来たら、
私はきっとちょっぴり幸せになれると思うから。

気付いたら側に居る、
一緒に居たい大切な人っていうのが
本当に必要な人なのかもしれないな。
今の私にはまだ分からない。
でも、きっと最後に必要な人が、
ピンチを助けてくれる人が
本当に大切な感謝すべき人なのかもな。

理屈じゃなくて感情の問題。

結局本当のところは、
どんな頼まれ方しても、
「私じゃなくちゃ」
なんてつまんない事言ってないで、
本当の本当は、
「必要とされたい」
なんて片意地張ってる自分じゃなくて、
その人の為にちょっぴり力を貸してあげて、
「私でよかった」
とその人の心の中で思われるほうが
いいのかもしれないな。

あなたでよかった。
あなたに出会えてよかった。

結局ここに繋がるのかも。
でもきっと、私の最後の最後のお願いは、
「納豆食べたいから買ってきて」
そんなのに違いない。

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