第3回「人間関係ってむずかしいものです」 |
第1号からかなりの月日が過ぎてしまいました。
いろいろとごたごた続きで・・・。みなさま申し訳ございません。
さてさて本題に入りますが、、、またまた私の独り言だと思って読み流してください。
最近私は仕事関係から私生活において、接する人たちの中での人間関係のごたごた、合う合わない、すれ違いなどをよく感じ、見ます。
私はのんきなもので…。
なぜと思うぐらいにお互いがお互いをって感じなんです。
もう少しお互いを受け入れ合えればと思うのですが・・・。
お互い性格や考えが違うのは当たり前ことで、お互いを受け入れ一つのことに思いを寄せて一致してやっていけないものかと思うのです。
同じ場に生きる者であり、前からのつながりがあり、目的や職種と言うそれなりの共通
点があるのですから・・・。
こう言う人もいるでしょう・・・「まあ大人社会において私はうまくやっていますよ・・・割り切って人と接して、やることやっています」とか聞いたり感じたりするのですが、それってうまくやっているっていえるんですかねぇ〜?
そんな中で小中高校の学級のことなんかを思い浮かべます。
勉強と言う共通課題を持っているけど・・・他は同じ目的を持たない人の集まり。
同じ目的の集まりではないから、本当に違う感じの人の集まりなんですよね。
だから普段不一致なんて当たり前、あの人好きだ嫌いだ、合う合わない、みんな言いたい放題・・・・まとまりがない、ごたごたがある、そんなの当たり前。
大人社会も学級と変わりはないのか・・・・・・違うのは「割り切ってうまくやっていること?」
そんな大人社会より学級社会の中に学べるのは、あんなに普段まとまりのない学級が、何か大きな一つのことに取り組む時、奇跡じゃないかと言うぐらいの団結が生まれるんですよね・・・同じところに過ごす『仲間』と言う意識が生まれるんですよね。
本当に不思議ですよね。
大人社会にも「割り切る」とか言うのじゃなくて、そう言う何かが生まれないもんですかねぇ〜・・・・・・私も大人社会に生きるものなんでそんなに言える者ではないのですが・・・・・・。
大人社会においてみなが共通点を意識しあえたら・・・・・・ん〜、大人じゃなくて人間として自分が生きているように相手も生きている存在だということ・・・・・大人として同じ社会の中のしがらみ、問題、悩みにもまれながら生きている同じ存在なんだということ・・・・・・・。
自分が在って相手が在るという、自分中心でなくて自分が在るのと同じように相手も在るということを認め、受け入れあっていくことって大事じゃないかなって思うんですよね。
実際私が見てこれはと感じるものがあるんです。
それはたぶん誰もがよく見る光景ではないかなと思いますが・・・・・「あからさまに人の話・考え・意見・思いを聞いていない、聞き流してる人。」
そして、
「自分の違う意見、賛成反対にしろ意見は押し付けるように話す。」(そういうのって相手にはよく分かるんですよね)
そして、
「相手がちゃんと聞いてよと言うもんなら、ちゃんと聞いてるだろと怒り出す。」
でもそれって聞いてるっていうんですかね。
相手を同じ共通点に生きるものとして受け入れていないと思うんです。
聞くっていうことは相手の話・考え・意見・思いを耳で聞き、頭に受け入れ考え理解して認知することではないのかと思います。
その上で自分の違う意見を言う。
それが賛成反対にしろ意見を言うことは決して間違ったものでもないし、いけないことでもないと思うんです。
聞いてくれてる、受け入れてくれていると相手にも伝わると思います。
言葉遣いには、よくよく注意しないといけませんが・・・・・。少しのことで結構うまくいくことがあるのでは、と思ったりします。
これとは対照的に、お互いを良く思ってるのにうまく伝わらず誤解を生んでるなんてこともありますよね。
人間関係って難しいものです。
私も生きる者として考え、
気をつけていかねばと思うこのごろです・・・・・・・。
ではではこの辺で。 |
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